江戸城の鬼門(北東方面)に位置している平川門。この門は江戸城の他の門とは違い、悪霊を入れないようにと正面を向いていません。


また、平川門の渡櫓(枡形の第二の門)の脇にちょこっとついている門が通称「不浄門」です。
死人・罪人は鬼門であるここから出される慣わしで、松の廊下刃傷事件を起こした浅野内匠頭もここから出されています。

平川門から皇居東御苑に入ると、そこは江戸城の中で最も古いエリアの一つ。太田道灌にまつわる伝説が伝わります。
道灌公ゆかりの梅林坂
道灌公が創建した菅原道真を祀る天満社と屋敷の周りに梅を植えたのが始まりで、この坂は梅林坂と云われています。

梅林坂の梅には早咲きから遅咲きまであり、長い期間、梅の香りに包まれています。

坂上にあった天満社は、本丸修築の際、麹町の方へ移され、その地を平河町とし、平河天満宮と名付け、徳川家から特別な格式を与えられています。ここは遅咲きの梅です。


太田姫一口(いもあらい)稲荷
もう一つ、道灌公ゆかりの寺社は太田姫一口稲荷。一口と書いて「いもあらい」と読みます。「いも」とは天然痘(疱瘡)のこと。道灌公の娘が疱瘡にかかり生死の境をさまよいますが、この稲荷に祈願したところ全快したので、感謝を込めて稲荷を江戸城内に勧請しています。
太田姫一口稲荷は、城増築の際、仙台堀のほとりに移されますが、昭和になってから、国鉄御茶ノ水駅拡張のため、またしても移転を余儀なくされます。が……
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今も御茶ノ水駅・外堀のほとりにはご神木が元宮として残り、本殿は神田駿河台一丁目。
この二つの位置関係は江戸城平川門から見て、鬼門の方角にあたり、近世になってからも頑なに江戸城の鬼門を守っています。
道灌公の香り漂う梅林坂ですが、ここを登らずに平川門から江戸城本丸に行くなら汐見坂を登ることになります。
海が見えた汐見坂
家康築城の頃、この坂から海が見えたので汐見坂と云います。が、その後すぐに、日比谷入江は埋め立てられ、二代将軍秀忠の頃にはすでに眼前には丸の内、大名小路が広がり、名だけに「汐見」が残ります。


ご先祖さまと汐見坂の関係
わたくしごとですが、母方の家紋は「六文銭」、父方の家紋は「丸に横木瓜」です。
子供の頃のわたしは、大岡越前や金さんが好きだったので「サムライ」に憧れていたチビ助。
母方は真田一族の出ですが、父方はわからず「ねえねえ、うちのご先祖さまはサムライなの?」とうるさく尋ねる息子でした。
父は「何言ってやんでぇ、家具屋の息子が武家の出のわけがねえっ(笑)」と、歴史には全く無関心な江戸っ子で相手にしてくれません。ねえねえとひつこく聞く息子のためにと、母が本家に行った時、仏壇の引き出しの奥にしまってある過去帳の写しを見せてもらい、帰ってくると、もともとタレた目元をこれ以上垂れそうも無く垂れ、ニコニコしながら「パパのご先祖さま、商人みたいよ」と言います。それを聞いて「士農工商」の一番下かよと凹んでいるわたしに、母はつづけて「でもね、家康に名字帯刀を許された足袋問屋だってさ。足袋を将軍に献上してたみたいよ」と言います。
名字帯刀の意味がわからず聞くと、商人なのに名字を名乗り、腰に刀をさしていたんだと。小学生のわたしにはそのことの意味が理解できませんでした。
ご多分に洩れずに、歳をとると歴史が好きになるもので、最近になって調べてみると、家康開府の頃の江戸はところどころに湿地がひろがるようなド田舎。埋め立て開発が進んでも、いっこうに人々が集まらずに、困り果てた家康は、名字帯刀という特権を商人に与え、江戸に誘致します。このころ江戸に来た商人たちは「草分商人」と呼ばれました。
というわけで、わたしのご先祖さまは江戸幕府と取引のあった商人なのですが、古地図を紐解いてみると、どうやら汐見坂を登っていたらしいのです。
先祖の登城、汐見坂ルート
江戸幕府と取引のある商人たちは主に平川門から入城。梅林坂を登っても本丸御殿には入れず、幾つかの門を越え、汐見坂を登り、汐見御門をくぐると本丸の「御広敷向」というエリアに着きます。商人たちが納品する場所です。
この道筋には石垣が残り、今も変わっていません。

地図にある「御手スリ」というところに奥行き90cmくらいですが細長い台があり、そこに役人、大奥のお女中たちが注文書きを置いておきます。商人たちは注文書きを受け取り、物品を持ってきて、また、御手スリに置いておくというシステムです。
地図には汐見坂のところに「コマヨセ」ともあり、大きな重いものは馬を使って運搬したようです。
今では、バリアフリーのため、斜度12度の平らなキツイ坂となっていますが、他の江戸城内図では、階段状に描かれています。
わたしのご先祖さまは、重い荷を担ぎ、ここを行き来したことでしょう。将軍が当家の足袋を履いていたかは不明です。
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