明治二十一年(1888年)の東京市区改正委員会で「日比谷練兵場跡を日比谷公園とする」と決定したものの、皇居や官庁に近く、何かと便利な日比谷に陸軍は未練タラタラ。一度、東京市に返還した土地を賃借りしていたこともあり、日比谷公園がお目見えしたのは十五年後。

やっとのことで、明治三十六年(1903年)六月一日、仮開園にこぎ着け、文明開化の香り高い公園に人々は驚喜します。

多くの日本人が初めて目にした洋風の文化……しかしながら、ここ日比谷はかつての江戸城内、そして大名屋敷地。江戸時代の遺構があちこちに残ります。

日比谷見附

有楽門から入るとすぐに見えるのが石垣。江戸城三十六見附の一つ、日比谷見附(日比谷御門)跡です。


どうやら残っている石垣は渡櫓の西側の一部のようです。

お堀の一部は公園の心字池として利用されていますが、背景の石垣は浅野只見守長晟の普請、寛永四年(1627年)というから四百年近くも前のものです。
さて、撤去された部分の石垣はどこに行ったかというと……。

灯台下暗し。目の前の有楽門の素材、伊豆安山岩は日比谷御門の石垣を再利用。門柱に刻まれた漢文を読むとわかります。
「明治三十五年五月、日比谷門の旧い礎石を以って建造」の意。
他の開園当時の古い門も江戸城の見附の石を再利用しています。
桜門

以鍛冶橋門及数寄屋橋門舊礎建造明治三十五年六月


霞門

以数寄屋橋門及幸門舊礎建造

中幸門

以幸門舊礎建造明治三十五年六月
日比谷門(正門)

以赤阪門及四谷門舊礎建設之


東京市区改正の道路拡張で不要になった各見附の石垣は日比谷公園で門、腰掛け石などに加工されていますが、由緒ある石垣はそのまま保存されています。
烏帽子石
幸門の交番裏には縁起のよい烏帽子石。これは市ヶ谷御門のもので、尚且つ、明治初期にだけ使用された測量記号「几号水準点」が刻まれている珍しいものです。


同じく几号水準点のある亀石が心字池のほとりにあります。


これは神楽坂近くの牛込御門で垂直に建っていたものです。

石枡
石枡は江戸自慢の上水の井戸枠。大名屋敷地にも張りめぐらされ、園内に三つ残されています。
その他、開園以前の江戸の名残り、石垣の石は成形されて腰掛け石に加工されています。
雲形池
秋になると紅葉萌える雲形池は人気のスポット。
テレビ東京の人気番組「池の水全部抜く大作戦」で池から佐賀鍋島藩の家紋のある軒瓦が出てきます。

東京都心はどこを掘っても遺跡が出てきますが、文明開化の象徴的な日比谷公園にも形を変えた江戸が色濃く残っています。