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日比谷公園の和・ツツジ山

洋7・和3の和洋折衷を目指した日比谷公園の和を彩るのが江戸ツツジのツツジ山。このツツジは大久保百人町由来と云います。

ツツジ山の絵葉書

鉄砲組百人隊

大久保百人町といえば、鉄砲組百人隊の地。江戸への入口を守備する鉄砲組は敵が入りにくく、守りやすいように狭い間口、長い奥行きを設けた武家屋敷を作って定住します。鉄砲の火薬を作る際に出る廃棄物から肥料を作り、武士の副業として、ツツジの新種開発、栽培を盛んに行います。

東京名所図絵に掲載のカラー版「江戸名所図絵の大久保ツツジ園」。
東京名所図絵に掲載のカラー版「江戸名所図絵の大久保ツツジ園」。

明治になっても甲武鉄道(JR中央線の前身)で季節の臨時列車が出るほど大久保のツツジ園は東京の名所となります。

明治28年(1895年)東京実測図より大久保村。
明治28年(1895年)東京実測図より大久保村。
明治時代の大久保のツツジ園。
明治時代の大久保のツツジ園。

明治の後期になると、大久保では宅地開発、新たな鉄道(国鉄山手線)の開削が進み、ツツジ園は閉鎖され、江戸ツツジは消滅の危機を迎えますが、日比谷公園は金五百円で江戸ツツジを買い取り、移植します。

明治の人々がまだ見たことのない洋花、チューリップやパンジーに負けじと色鮮やかなツツジ山は人気となりますが、突然の関東大震災。

ツツジ山の受難

第一花壇のバラック。

避難村が出来た日比谷公園では、ツツジは薪として使われてしまいます。避難民のことを考えれば仕方のないこと。さらに戦時中、雲形池を農地化するため、ツツジ山を切り崩し、埋立用土にされてしまい、江戸ツツジは消滅のピンチ。

雲形池
雲形池。

平成二十八年(2016年)本格的な調査が行われ、絶滅したかと思われていた大久保百人町由来の江戸ツツジが数株発見されます。

ツツジ山再生計画

ツツジ山絵葉書

現・ツツジ山。
現・ツツジ山。

明治、大正初期の絵葉書に比べて、にぎやかさに劣る今日のツツジ山ですが、ツツジの育成に欠かせない日照時間を得るため、ケヤキの高木を剪定。ツツジ山再生計画がスタートしています。

全7系統31品種381株のツツジ山。江戸キリシマ系、オオキリシマ系、リュウキュウツツジ系、オオシマツツジ系など江戸時代から伝わる品種が萌えて、明治の輝きを取り戻そうとしています。

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