お江戸の落語には実際の地名が数々登場します。
それらは無理なく配置され、そうすることにより臨場感が増し、作り噺ではありますが、あたかも実話であったかのような錯覚を覚えてしまいます。
泣ける人情噺として有名な「文七元結(もっとい)」もその一つです。
文七元結
本所達磨横丁(古地図B)に住む左官の長兵衛は大の博打好き。今日も細川のお屋敷(A)で中間たちが開く賭場で、すっからかんに負けて帰ってまいります。
家に帰ると女房はいるが、十八の娘「お久」がおりません。
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娘・お久は借金がかさんだ家を助けるため、吉原、江戸町一丁目の大見世「佐野槌」に、五十両でその身を売ったのです。
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長兵衛が佐野槌を訪ねると、
佐野槌のお女将が、
「お久は預かって女一通りの事は習わせてあげるけど、来年の大晦日を一日でも過ぎると見世に出して、客をとらせるよ」
娘のお久が言うには、
「そのお金で変な所に寄道しないで、お母さんに親切にしてよ」
お女将に、
「おまいさんは腕はいいんだから一生懸命働くんだよ」
と念を押されます。
吾妻橋で身投げする男
長兵衛は五十両を受け取り、吉原大門を出て衣紋坂、日本堤を歩いて花川戸から吾妻橋までくると、若い男が身を投げようとしていますщ(゚Д゚щ)。

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橋の欄干に手をかけ、今にも飛び込もうとする男に、
「こんちきしょ、待ちやがれ、危ねえじゃねえか!」
「助けると思ってその手を放してください」
「欄干から手を離せ!バチン」と殴る長兵衛
「なっなんで打つんですかっ、怪我するぢゃありませんかっ」
わけを聞くと日本橋横山町のべっ甲問屋「近江屋」の「文七」というもので、小梅の水戸様から集金した金を枕橋ですられてしまったのだと言います。
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「で、いくらすられたんだい?」
「五十両でございます」
「死んだって金は戻らねえだろ、でもぉもうちょっと負からねえか?」
「分かりました、行くぞおっ」
「こらっ待てえ!飛び込むな! 五十両ここにあるから持ってけぇ!」
俺はつくづく金に縁のない男だと長兵衛は思い、文七の命を助けるためにと、娘は命までは取られねえだろうと、大切な五十両を投げつけるようにくれてやります。
ところが文七が近江屋に戻ると、五十両はすでに小梅の水戸様から届いていました。すられたのではなく、お屋敷に置き忘れていたのです。
酒と肴
翌日、文七と日本橋横山町「近江屋」の主人は、達磨横丁の長兵衛の家を訪れます。

長兵衛の家では
「あんたっ、どうしたんだよ、その金をさあ、どこで何したんだいっ」
「身投げを助けたんだって言ってるだろうが」
「あんたは身投げを助るふうではないよ、身投げを放り込む方だよ、たくっ」
と女房と喧嘩の真っ最中。文七と近江屋の主人が現れたので、
「どうでえ、ざまあみろ、証人が来た」と長兵衛。

近江屋主人は五十両を返し、長兵衛の心意気に感心したので、文七の親代わりになって、近江屋と親戚づきあいをしてほしいと言います。
この話がまとまり、めでたいので酒と肴をと、主人は角樽を差し出します。
長兵衛は肴はいらねえと、やせ我慢しますが、現れた肴を見るとそれは着飾った娘。近江屋が佐野槌から身請けした我が娘のお久です。
これ以上の肴はねえと、長兵衛一家は涙を流して喜びます。
これが縁で文七とお久は麹町六丁目に小間物屋を開き、後年「文七元結」を創り、たいそう繁盛したと云う一席でございます。
めでたしめでたし。


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