東京・文京区傘谷坂のサッカーミュージアム。ドーハの悲劇、ジョホーバルの歓喜、マイアミの奇跡と並んで大きく扱われ展示されている「ベルリンの奇跡」とは?
と思うファンの方も多いようです。
日本サッカーの黎明期。日本のサッカーが世界に初めて輝きを見せたのは、ナチスドイツ統治下のベルリンオリンピックでした。


ベルリンオリンピックへの道
昭和11年(1936年)、二・二六事件ののちで、軍事色が強くなる頃。ドイツの枢軸国である日本の代表チームは予選なしでベルリンオリンピック出場が決定します。
早稲田大学ア式蹴球部(早稲田大学アソシエーションフットボール association football部)を中心に構成された日本代表チームが招集されます。
二・二六事件のわずか二ヶ月後の4月、代々木の日本青年館で合宿が始まります。

ここではチームマネージャーの小野卓彌氏が、
「食事にカロリー不足はない、決してマズいとは言わないこと」
と訓辞!。
遠征に日本人シェフを連れていく今では考えられないこと。
また、日本青年館の目の前にある国立競技場を使わず、緑のグランドに慣れさせるため、比較的、芝の状態がヨーロッパに似ている祐天寺の勧業銀行グランド(現・碑文谷公園)を使用。今では年中、緑の芝が当たり前ですが、オールドファンならご存知の通り、国立競技場でさえ、芝は茶色。

昭和11年(1936年)6月20日、東京駅で熱烈な見送りを受けた日本オリンピックチームは汽車でユーラシア大陸を横断、ベルリンへと到着。片道二週間の行程です。
今では考えられないことばかりです。

当時のベルリン市内は戦時色一色で染まっています。しかし、初めてヨーロッパに遠征する日本代表はそれ以上の衝撃的経験をすることになります。
ツーバックからスリーバックへ
昭和元年(1925年)、FIFAはオフサイドのルールを改正。それ以前は守備側3人目の選手がオフサイドラインだったのでツーバックで事足りていましたが、それが今と同じ守備側2人目となり、その結果、欧州ではスリーバックシステムが主流になります。

が、しかし極東の島国・日本では、未だにツーバックシステムが主流。大会前、ベルリン市内の地元3チームと練習試合を行いますが、3戦全敗。
日本対ヴェッカー | 1:3 |
日本対ミネルバ | 3:4 |
日本対ブラウヴァイス | 2:3 |
代表は急遽スリーバックシステムに取り組むことになります。
対スウェーデン戦
1936年8月4日、ベルリンのヘルタ・プラッツ・スタジアム、オリンピックサッカー競技1回戦として日本対スウェーデンの試合が開催されます。
サックスブルーに日の丸のユニフォーム、スリーバックで挑む日本代表。
スウェーデンは優勝候補と目されていて、予想に違わず圧倒されてしまいます。

技術・戦術・体格で勝るスウェーデンに前半25分・37分、立て続けに失点。0:2で前半を終了します。
ハーフタイムにはスタジアムにいる誰もがスウェーデンの勝利を確信していました。
しかし、うなだれるイレブンに鈴木重義監督がかけた言葉は、
「今日はみんな調子いいじゃないか!」
一同びっくりしながらも
「そ、そうかなあ?もしや、スリーバックシステムが機能してきたかな?よし!やってやるか!」と思い、
闘志が湧き出てきたと云います。
後半、反撃に出る日本
後半開始からわずか4分、左サイドウイング加茂のクロスにセンターフォワード川本が右足アウトサイドにかけてダイレクトにシュート!右ポストすれすれに低くスライスしてゴーーール!1点を返し、さらに後半18分には加茂の左からのパスを中央で川本がスルー(蹴り損ねた!)すると、右から走り込んでいた右インナー右近の強烈なシュートがネットを揺らします!2:2の同点ゴーーール!(右近は川本がかなぶりするだろうと見越して走っていたらしい)。
この後は怒った獣のようなスウェーデンのペース。しかし日本もゴールキーバー佐野の捨て身の活躍と、急造スリーバック・種田、竹内、堀江が機能し、追加点を許しません。
疲労困憊のなか、闘志だけが日本代表を動かしていました。

極東の島国に我々が負けるわけがないと北欧の巨人(まさしく大男)たちは全員、日本陣内に攻め上がってきます。日本は必死に守ります。
後半40分、スウェーデンのバックパスミス!無人のスウェーデン陣内にボールが転がります。その時、100m走でもオリンピックに出場できると云われた韋駄天フォワード松永が猛スピードでカット。ゴールへと俊足を飛ばします。左から放ったシュートはキーパーの正面へ。が、しかし、いわゆる地球を蹴った状態になり、蹴り損ねたボールは予測不能なバウンドをし、キーパーの股間を抜け、ゴーーール!3:2!逆転!
ベルリンオリンピック日本水泳界では、伝説的なラジオアナウンス「前畑ガンバレ、前畑ガンバレ、前畑ガンバレ!」の連呼が有名ですが、サッカーでも、スウェーデンアナウンサーの実況「Japaner! Japaner! Japaner! ヤパーナ、ヤパーナ、ヤパーナ 日本人、日本人、日本人が来た!」が有名です。
今でもスウェーデンで信じられないことが起きると、新聞の見出しには「Japaner! Japaner! Japaner!」 が踊るそうです。
残り時間をキーバー佐野を中心に全員で守りぬき、逆転勝利!。グランドに観客がなだれ込み、日本代表に握手を求めます。誰もが思わなかった日本の勝利を祝福し、選手たちは知らず知らずに涙を流します。ベルリンで奇跡が起こったのです。

二回戦は優勝国のイタリアと当たり、スウェーデン戦で精魂使い果たし、けが人も多かった日本代表は0:8の大差で敗れ去ります。その時の写真もサッカーミュージアムで見ることができます。
サッカーのことを草原の格闘技と言いますが、何本もの手が伸び、まさにボクシングのクロスカウンターのような空中格闘戦!顔面にクリーンヒットしています 。
このころはキーパーを保護する明確なルールが無く、格好の餌食になっていましたが、キーパーもやり返します。バックスはキーパーを守るのも仕事です。
今では考えられない光景です。
日本代表の歴史を見ることができるサッカーミュージアム。
今以上に苦労した先人に報いるためにも、いつの日かワールドカップを。頑張れ!日本代表!