江戸時代、人の多いところと言えば、両国橋、浅草寺の境内、奥山などと申します。今日も浅草寺の境内には、見世物や大道芸人がずらりと並び、にぎやかな人だかりができております。

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浅草寺の奥山。その芸人のなかで、居合い抜きを演じたあと、ガマの油の口上を述べている若者と年の頃二十四、五の美しい姉。

「がまの油、その効能はなにかといえば、金創切り傷ほか、虫歯で弱るお方はないか」
そこへ人を押し分けて、六十過ぎの侍が現れます。
「その膏薬、二十年ほど前の古傷にも効くか」と尋ねる老侍。
「ちょっと拝見」と若者が傷を見るなり
「これは投げ太刀にて受けた傷ですな」
「さよう、お目が高い」
老侍は身の懺悔(ざんげ)だからと語り始めます。
「自分は福島藩の家中だが、二十年前、下役・木村惣右衛門の妻女に横恋慕をし、夫の不在をみはからって手ごめにしようとしたところ、立ち帰った夫に見とがめられ、これを抜き打ちに斬り捨てた」
なにやら尋常ではない話に人だかりは聞き入ります。
「その後、妻女が乳児を抱え、鬼のような形相で「夫の仇!」とかかってくるのを、やはり返り討ちに斬ったが、女の投げた懐剣が背中に刺さり、それがこの傷だ」
ガマの油売りの若者は聞き終わると、キッと老侍をにらみ、
「して、貴殿のお名前はっ⁈」
「岩渕伝内」
「なに!岩渕伝内!、かくゆう我は、なんじのために討たれし木村惣右衛門が一子、惣之助、これなるは姉のあや、いざ尋常に勝負いたせ〜!」
「親のカタキぃ〜〜」
姉がおんなの金切り声で叫びます。
こうなると人だかりは騒然。岩淵伝内は静かに、
「なるほど、二十年前のことなので油断し口外したは、拙者の天命逃れざるところ、いかにも仇と名乗り討たれようが、今は主を持つ身、一度立ち返ってお暇を頂戴しなければならないので、明日正巳の刻(午前十時)までお待ち願いたい」
「よかろう、出会いの場は?」
「牛込、高田の馬場」
「よし、相違はないな」
「二言はござらん」
というわけで、仇討ちは延期になります。
この事件は江戸の八百八町に響きわたり、熊さん、八っつあんもご多分にもれずに、
「おいおい、浅草で仇討ちがあったんだってぇ?」
「日延べだよ」
「えっ(*’д’*)、曽我兄弟でも十八年、それを二年も上回る二十年なのに日延べってぇ、なんだよっ」
「しょうがねえだろ、仇敵の爺さんが、今日はお遣いなんで、明日、高田の馬場で、ってぇいうんだよ」
「んじゃあ、あした行ってみるか」
「おうっ」
という具合に、翌日、大勢の人々が高田の馬場へ押し寄せます。
高田の馬場の茶屋
馬場の茶屋では仇討ち見物を見込んで、よしず張りの掛け茶屋がズラリ。そのどれもぎゅうぎゅう詰めの混み合い。

みな待っていますが、仇討ちは、いっこうに始まらずに、とうとう一刻(二時間)過ぎて、正午の刻に。
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また日延べかとざわつきだしたころ、ある掛け茶屋で、昨日の老侍が悠々と酒を飲んでいるのを見つけた者があります。
「もし、お侍さん、のんびりしてちゃあ困りますよ。仇討ちはどうなりました?」
「ははは、今日はなしだ」
「はぁ(ノ゚⊿゚)ノ?、それじゃあ相手が済みますまい」
「心配いたすな、あれは拙者のせがれと娘、今頃、洗濯でもしておるじゃろう」
「えっ!なんだってぇ、そんなうそをついたんですっ?」
「ああやって人を集め、掛け茶屋から上がりの二割をもらって、楽に暮らしておるのだ」
「(・_・)………」
別名「仇討ち屋」という一席でございますm(_ _)m。
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