明治の頃のお話です。熊さんは大家さんに呼ばれます。
大家の息子、若旦那が病にふせっており、医者にみせると、どうやら心の病。持っても五日と告げられます。
若旦那は仲のいい熊さんにだけ訳を話すと言います。
息も絶え絶えの若旦那。
「あぁ〜うぅ〜、二十日ばかり前、上野のお山、清水様にお参りに行ったんですよ〜」
「おっ、そりゃいいですねえ〜、清水堂といえば眺めがいいっ、不忍池、弁天様はもちろん、湯島の天神、神田の明神、左のほうには聖天の森から待乳山まで」
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お参りを済ませて、清水様の茶店で休んでいると、お供を三人ばかり連れたお嬢さん風の人に出会います。
お嬢さんが茶袱紗(ふくさ)を落としたので拾いあげ、渡してあげます。


「その人のお顔を見ると、水の垂れるような女、あぁ〜」
「えっ?、ひどいねえ、ビショビショ!グチャグチャな女だ!みかんを踏んづけたようだねぇ、たくっ」
「違いますよぉ熊さぁん、いい女のことを水の垂れるようなというんですよぉ、あぁ〜」
そのあと、どこからともなく桜の枝に結んだ短冊が落ちてきて、それをお嬢さんから渡されます。そこには、
という百人一首、崇徳院の上の句があります。下の句は、
と続く恋の歌。
川の流れは岩にぶつかり左右に別れますが、岩の後方では流れがまた、元のように。
末にはまた会い、夫婦になりましょうという意味です。

それ以来、何を見てもお嬢さんを思い出す始末。
恋わずらいです。
「あの掛軸のダルマさんがお嬢さんに見える、鉄瓶がお嬢さんに見える、あぁ〜」
大家さんから
「熊さん、そのお嬢さんを探し出してくれたら、あなたが今住んでる三軒長屋をさしあげましょう」
と言われます。
三軒長屋の大家を夢見て、同じく大家の奥さんを夢見る女房に、腰にわらじを二十足くくりつけられ、
「いいかい、あんた、人の多いとこに行くんだよ、お湯屋(銭湯)とか床屋とかさぁ」
女房に、そう言われて、街に繰り出します。
「えぇ〜瀬を早みぃ、え〜瀬を早みぃ」
「おぅ、納豆屋さんっ」「納豆屋じゃないよっ、たく」
子供達がぞろぞろと後をついてきます。
「シッシッ!おじさんは紙芝居じゃないのよっ」
混んでる床屋へ
そういえば人のたくさんいる、混んでいるお湯屋とか床屋に行けと言われたのを思い出し、床屋へ。


「こんちわ、混んでますかぁ?」
「すぐできますよ、お客さん」
「さよならっ」
こっちぁ訳あって人の多いところを探してるんだとブツブツ言いながら、次の店へ、
「こんちわ、混んでますかぁ?」
「あいにく混んでまして、もう少し後に来ていただければ」
「お願いしますっ」
変なお客と思われますが、待合で、
「えぇ〜瀬を早みぃ、え〜瀬を早みぃ」と始めます。
一人のお客に
「それは崇徳院様の歌ではないですか?」
「おっ、よくご存知で」
「うちの娘がね、その歌をどこかで覚えましてねえ、それにハマってますよ」
「えっ、娘さん水垂れてますか?」
「水道屋じゃあありませんよ、水は垂れてませんがねぇ」
「みかん踏んづけてますか?」
「最近、草餅を踏んだようですがねぇ」
「おいくつですか?」
「今年で七つになりました」
「(・_・)…………え〜瀬を早みぃ〜」
そして、お湯屋を18件、床屋を36件、廻ってまいります。
「こんちわぁ〜、混んでますかぁ〜」
「混んでますけどぉ、お客さん、さっきも来た人ですよねえ」
「ええ、もう肌は脂がぬけちゃってカピカピ、も、もう剃る毛も無いんで植えてもらえますか?」
「植えたことはぁありませんがねえ、まあ、そこで少し休んでらっしゃい」
「せ、せを、瀬を早みぃ〜、せ、せ、せを〜囧rz」
「お客さん、ずいぶんと元気が無くなりましたねえ」
床屋で休んでいると、近くの人が現れます。
聞けば、大店のお嬢さんが恋わずらい。上野のお山で若い男に袱紗を拾ってもらい、別れ際に崇徳院の短冊を渡したとのこと。
「その男を探し出せば、大家が積樽を二十もしてくれるってんでぇ長屋中お祭り騒ぎよ、こいつぁ日本人には違いねえだろう、日本中探せってんで、おととい北海道代表が旅立ち、昨日は九州代表が、えへ、あっしが四国代表ってぇもんよ」
熊さんは、三軒長屋がここにいたぁと大喜び。危うく四国に旅立つところだったと四国代表。てめえがうちの長屋へ来い、てめえがうちの長屋へと、二人がもみ合ううちに床屋の鏡を割ってしまいます。
床屋の主人に責められ、熊さんがひと言。
「ご主人、心配はいらない、割れても末に買わんとぞ思う」
「崇徳院」はもともと上方落語で、恋の舞台も高津神社。湯島出身の桂三木助は、上野のお山からの景色を美しく描いています。
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