東京メトロ東西線木場駅からすぐ。洲崎神社(洲崎弁天)の鳥居をくぐり、境内に入ってすぐ左に波除碑(なみよけひ)があります。

波除碑とは、
寛政三年(1791年)、高潮が発生。深川、本所一帯が被害を受けました。寛政六年(1794年)頃、幕府が州崎神社の西側を買い上げ空き地にし、 その境界に当たる二カ所に波除碑を立て、ここより海側に人が住むことを禁止しました。

材質が砂岩のため、もともともろく、大正12年(1923年)の関東大震災 や1945年の空襲による破損もひどく、碑文が殆んど読めませんが、
葛飾郡永代浦築地 此所寛政重三年波あれの時、家流れ人死するもの少なからず。此後高なみの変ハかりかたく流死の難なしといふべからず。是によりて、西ハ入舟町を限り、東ハ吉祥寺前に至るまで、凡長弐百八拾五間余りの所、家居とり払ひ、あき地になしをかるゝもの也 寛政六年甲寅十二月
と書いてあったそうです。
几号水準点は、この台座の裏側にあるのですが半分埋まっているのと、後ろの塀が邪魔でうまく写真が撮れません。

かなり傷んでいます (T-T)。
公的資料:地理局雑報にある記載 洲崎辨天門前碑 1.1848m
几号水準点って何?を参照
明治の地図を見ると、
東京実測図より洲崎神社-1.jpg?resize=474%2C341&ssl=1)
今では、埋め立てが進み、洲崎神社は海から遠くの内陸ですが、明治初期には海際でした。
父が子供の頃、おばあちゃんと一緒に、根津から木場まで、歩いて海釣りに行ったと言っていたことを思い出しました。
愛宕山から見れば、洲崎は東京湾の向こうの海際。ここに几号水準点を置いたことが理解できます。
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撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。