愛宕神社の出世の石段や桜田門外の変の浪士18人の集結地と知られる愛宕山。
頂上の愛宕神社境内は平地であり、都心で最も眺望が良かったことから、明治の初めから測量地点として利用されてきました。
愛宕山の几号水準点
明治初期に使われていた「几号水準点」がこの石碑に刻まれています。
これは「不」の字ではなく、「T」の字です。
明治12年(1879年)の地理局雑報にも、
「安永八年二月ト記シタル碑ノ臺石横面T符ヲ彫ル」
と記録されています。
几号水準点って何?を参照
この碑の近くに、現行の測量点「三等三角点愛宕山(標高25.69メートル)」もあります。
そして、几号水準点よりも早い時期に、日本初の測量三角点がここ愛宕山に置かれた記録があります。
日本初の三角点

明治五年(1872年)、工部省は日本で初めての測量三角点を13か所に置いています。
その13か所はというと、
江戸城の富士見櫓、越中島、洲崎弁天、本所一ツ目、本所三ツ目、芝愛宕山、上野下寺町、目白台、白金台町、寺島村、田端村、戸越村、第二台場
ほとんどのものが所在不明になってしまい、現在確認されているのは、江戸城の富士見櫓近く皇居東御苑のもの1点だけと云われています。



愛宕山にもこのようなチョコレート型の三角点が置かれたことになっています。
目を凝らし、境内の池の中を覗くと、
それらしきものがありますщ(゚Д゚щ)。
30cm角くらいの人工物が、水の中に確かに見えます。

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明治初期の地図で三角点マークのあるところが、今は池になっています。

古写真のちょうどこの辺り、本殿に向かって右側が今の池です。
江戸時代の文書
文化十一年(1814年)頃、切支丹屋敷についても書いている十方庵の「遊歴雑記」に、愛宕山はこのように記されています。
崖際の茶店に憩ひて眺望すれば、北は幽に浅草川の辺より、南は芝浦の海手まで、更々目に触るものなく(中略)深川、洲崎の辺りまで只一望にありて云々
「遊歴雑記」にあるように、愛宕山から深川、洲崎まで見通せたので、本所一ツ目、本所三ツ目、洲崎弁天に最初の三角点を置いたことが理解できます。
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