幸神社

歴史上のビッグネームが登場⁈目白坂の謎の碑(後編)

icon-arrow-circle-left歴史上のビックネームが登場⁈目白坂の謎の碑(前編)
からの続き

謎の碑はどう読むか?

古地図や資料から、社のことはだいたいわかりました。
しかしながら、この碑のことについての手がかりはないまま。

崩し文字の碑
崩し文字の碑

いつもなら、困った時のワトソ子くん頼みなのですが、ワトソ子くんも崩し文字には弱い。

こんな時に頼りになるのがFBグループ。歴史のFBグループには、博学な方がたくさんいらしゃいます。様々な意見を頂き、大変、感謝しております。

「心は京の梅」?、そう読めなくもなく、ロマンを誘うキレイな解釈です。でも違うような?。

崩し文字最終的には最初の四文字「以波東乃」は万葉仮名で、「いわとの」「岩戸の」。誰もが知っているアマテラスの岩戸伝説を想像できます。

最後の一文字が難しい。木偏なのはわかりますが、「梅」なのか「桜」なのか「樓」なのか?

FBグループの方が崩し文字辞典で調べてくれて、これはどうも「」と読むようです。

桜の崩し文字

岩戸の桜」。境内に桜があるのか?
もう一度行ってみることに。

再訪で新事実が発覚!

再度、来てみると、なるほど、高い木があります。
これが「桜」なのでしょうか?

イチョウ

あれっ(*’д’*)、
よく見れれば、これは桜ではなく、大きなイチョウです。
寺社のイチョウはよく避雷針代わりに植えられます。

「桜」は境内になく、辺りを走りまわっても「塚」らしい痕跡も見当たりません。

おそらく円墳だったであろう塚は江戸時代に既に壊され平地化されたのでしょう。

幸神社しかも、この社は新しいのです。創建不詳ですが、社は昭和6年9月建立。平成20年9月に鳥居・狛犬等境内を改修。

そして、幸神社の西隣は椿山荘。東隣には関口台小学校。この立地条件からすると移転させられた結果、この地にある可能性が大です。

やはり、一度や二度、廃れて消滅しかけたのかもしれません。

そして、謎の碑をよく見ると、

謎の碑(横から)謎の碑は立入禁止エリア内。

それにしても、この碑、形がおかしい。真横から見てみると、薄っぺらな石だったのです。

「岩戸の」から考えると、まるで洞窟を塞いだ岩の扉を表現しているかのようです。

立入禁止でも「空中ならええやろ」と小学生みたいな思いが浮かび、アイホンをかざして自撮り方向に撮影します。
えっ、えっ、ええー。裏側に、文字を発見!

謎の碑の裏面

謎の碑文一所懸命、手を伸ばし、裏側を撮影します。手が短くて部分的にしか撮れませんが、何点が撮り探偵社に持ち帰り、分析。

難しくて読めない漢字もありますが、全貌を把握。以下のような漢文でした。

此樹也従五位丹波守源政武朝臣所命也
徴諸古今集所載和歌者矣因記事別置于祠
頭乃欲碑傳馥郁於千載而不朽也等故立
石以述伝明和丙戌三月

手塚源 正盈 撰
村岡平 正甫
福原大江 就壽 建

三宅榮茂 刻

漢文に詳しい友人に訳してもらうと、だいたい大雑把にこんなもんだろうと言います(赤字は不確か)。

この樹は従五位丹波守の朝臣(朝廷の家臣)である源政武の土地にあった樹である。
古今集に載ってる数点の和歌と和歌を詠んだ人にちなんで于祠(人を祀る祠)を樹とは別に建てた。
石碑とともに長く朽ちないで馥郁(良い香りがする)たる事が伝えられる樹を植えた。
明和丙戌(1766年)三月に石碑によって、述べ伝える

手塚源 正盈 撰
村岡平 正甫
福原大江 就壽 建

三宅榮茂 刻

文章からすると、良い香りのする樹と言っているので、イチョウや榎木ではありえません。しかしながら、この社には桜はなく、大きなイチョウがそびえ立つばかり。

「岩戸の桜」、アマテラスの岩戸伝説に結びつくようなものは何もありませんでした。

ソメイヨシノの伊藤政武

帰り、また、よく文献を調べると、武将のことかと思われた「従五位丹波守源政武朝臣」とは、桜といえば「ソメイヨシノ」、あのソメイヨシノを交配した植木屋「伊藤政武」のことようです。

こんなところでビックネームが登場するとは驚きです!

撰者らも源氏、平氏、大江氏を名乗っていることから、町人一流の粋な遊びのような気もしますし、八百屋お七の墓のような寺社の人寄せ名所作りかもしれません。

おそらく、桜の交配種の一つであるのでしょうが、なぜ、「岩戸の桜」なのでしょうか?

天の岩戸伝説と結びつく

なぜ、「岩戸の桜」なのか?
しばらくの間、途方にくれ、ぼんやり古地図を眺めていると、意外にも、お江戸後期の「切絵図」に、、、

古地図:安政四年(1857年)改 尾張屋刊江戸切絵図より
安政四年(1857年)改 尾張屋刊江戸切絵図より

幸神社の表記はありませんが、今は関口台小学校になっているエリアに「戸隠社」の文字が!。

こんなところに戸隠神社の分社があったとは気付きませんでした。

アマテラスの天岩戸伝説

アマテラスは洞窟に隠れ、岩で蓋をしてしまいます。タヂカラオが力ずくで開けた岩の扉が飛んで行った地が、長野の戸隠神社。伝説では、そのように云われています。

謎の碑の台座碑の台座を見ると、素材も違い、とってつけたように新しいものです。
この碑は、おそらく、お隣の「戸隠社」にあったものでしょう。

古墳を思わせる塚、海から上がった御神体、鎌倉海道、清土道、戸隠社、道山幸神社、駒塚など。

各時代の変遷てんこ盛りなここは、お江戸東京のど真ん中。しかしここは、古墳時代からのロマンあふれる魅力的な場所でした。

【追記】
碑の石材は古墳の石室の石ではないかと、FBグループの方からお知らせがありました。古墳の本場、福岡ではよくあることのようです。石室の石だとすると、神話じみた「岩戸の」が信憑性を帯びてきます。

また、「岩戸桜」という桜は各地にあるようです。

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