几号水準点界の一大メジャー
靖国神社大燈篭の謎

灯篭に「不」の字の几号水準点が刻まれているという情報のみで来てみたら、靖国神社には数多くの灯篭があって、探すのに苦労しました。

本殿前、本殿に向かって左側の金属製灯篭の台座に几号水準点が刻まれています。難儀しますので、下のグーグルマップを参照してください。
几号水準点って何?を参照
几号水準点の謎
この灯篭は銘文によると、明治12年8月、名称が招魂社から靖国神社に変ったときに建立されています。
測量のための几号水準点はそれ以降に刻まれたことになります。

この几号水準点は靖国神社前競馬場入口の標高24.93mの測量点(灯篭、古地図赤矢印)を移設したものではないかという憶測がすぐ浮かびました。

素朴に考えて、今現在の立地条件で、測量に使う几号水準点の向きが本殿を向いているのは見通しが効かないのでおかしい。移設に間違いないようです。
競馬場入口にあったものなら九段坂の頂点に当たるので見通しが良い。競馬場入口にあった灯篭なのか?もう少し調べる必要がありそうです。
現地調査に走る

靖国神神社前の競馬場前は今の一の鳥居あたりです。
靖国神社の一の鳥居周辺は関東大震災を機に大改修され、明治期のような地形ではありません。
入口に灯篭、石垣はありますが、明治ほどの古さがありません。これは関東大震災以降の意匠です。
古写真、古地図で解明を試みる
古写真を探すと九段坂の写真にありましたした。
↓が競馬場前の灯籠ですが、かなり不鮮明。
金属製灯篭とはデザインが違うようです。


因みに古写真にあるタワーのような大灯篭は九段坂の通りの反対側の九段坂公園に移設され、今も健在です。
明治の古地図では灯台の表記になっています。東京湾に入港する船の目印になっていました。

また、明治の地図に戻り、よくみると、測量点(赤矢印)が二つありました(26.99mと24.93mの二つ)。26.99mは靖国神社の二の鳥居前の灯篭のようです。
二の鳥居へと走る
九段坂を走り登り、一礼して、一の鳥居をくぐり、有名な大村益次郎像を見ます。
この像、皇居でもなく、とんでもないところを見ているなあと思ってたのですが、上野のお山を見ているのだそうです。
しかしながら、眉毛大きすぎの感は否めません。

そして、二の鳥居の前に到着。
大きな石灯篭があります。昭和10年に富國徴兵保険(現富国生命)が奉納した日本最大級の石灯籠です。

昭和10年奉納ということで比較的新しいもの。当然、明治期に使われていた几号水準点はありませんが、興味深いのは側面にあるレリーフです。
右の灯篭が陸軍、左が海軍の日清日露戦争〜満州事変の名場面集です。司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を思い出してしまいました。



などなど、このレリーフ全部で14点、よくみると興味深いです。
多くの方が愛でて、撫でたのでしょう、表面がツルツルになってます。
終戦直後、GHQに撤去されそうになった時、板でレリーフをカバーして隠し、辛うじて難をのがれたという逸話もあります。
しかしながら、この灯篭、昭和10年奉納ということなので、ここにあった灯篭をどこかに移設して、道路を拡張。その後、石灯篭を奉納したと考えられます。
古写真を探すと
走って帰り、図書館で、また、古写真を探すと……

こんな古写真を見つけました。
細工の細かい金属製の灯篭です。デザインもぴたりと一致します。また明治の錦絵にも描かれています。
几号水準点のある大灯篭は競馬場前ではなく、二の鳥居前から移転されたものです。
社殿も今よりずいぶんと背が高かったようです。

明治の地図を見ると、標高26.99mの測量点が、この金属製灯篭です。
因みに明治の地図にある靖国神社前の噴水池(赤矢印)の古写真もありました。池は今はないのですが、この池のほとりに金属製灯篭は移転されたと思われます。

東京一の観光坂道、九段坂を参照
靖国神社大燈篭の几号水準点(K)
拡大すると正確な位置がわかり、クリックするとリンクがありますのでそちらのページに詳しい情報があります。
「皇居周辺の几号水準点など」グーグルマップはこちら
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都心の43個の几号水準点グーグルマップはこちら
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撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。