几号水準点界の価値あるお宝、迷子しらせ石
一石橋は江戸城にも、呉服橋、日本橋の商業地にも近く、神田と日本橋を結ぶ、相当通行量の多かった橋と思われます。そんな人通りの多い橋のたもとに江戸っ子たちは迷子尋ね人用に掲示板ならぬ掲示石を立てました。正面に美しい書で「満よひ子の志るへ」(迷子の標)、左面に「たつぬる方」(迷子を捜している人)、右側に「志らする方」(知らせる人)と刻んであります。
几号水準点って何?を参照

側面上部の窪みに迷子の背格好、年齢などの情報を紙に書いて貼り付けました。投稿欄とコメント。お江戸のコミニュケーションツールです。
2ちゃんねるもFBもツイッターもない時代の人情味あふれる遺物です(同じようなものは人の集まる湯島天神にもあり、そちらは奇縁氷人石といいます)。


深く美しい彫り
明治になって、正面下部に几号水準点も刻まれて、江戸東京博物館にレプリカが展示されているくらい、民俗学的にも測量史的にも一級の史料です。

古写真を見ると
私だけが国宝級だと思っているのですが、当時から有名だったらしく古写真も残っています。

ずいぶんと埋まった状態です。几号水準点が刻まれたのはこの後と推測できます。

一石橋のたもと、人力車の横に建っています。お堀の対岸は江戸城城内で、お堀は今の外堀通りです。場所が地図とも一致し、この頃、几号水準点が刻まれたと思われます。
古地図には、几号水準点の「不」の字と9.61(9.61尺)とあります。
東京実測図より一石橋.jpg?resize=474%2C355&ssl=1)
公的資料:地理局雑報にある記載 一石橋迷子知ルヘ石 2.9227m
五斗+五斗で一石橋?
因みに一石橋の名の由来は橋の北側の金座(今の日本銀行)の後藤庄三郎、南側の呉服商の後藤縫殿助の屋敷があり、橋が壊れた時二人の後藤の援助で再建されました。
後藤の読みから「五斗」、「五斗+五斗で一石」と、シャレで一石橋と名付けられた。
なんともシャレ好きな江戸っ子らしいエピソードです。
迷子しらせ石、几号水準点の位置(J)
拡大すると正確な位置がわかり、クリックするとリンクがありますのでそれぞれのページに詳しい情報があります。
「皇居周辺の几号水準点など」グーグルマップはこちら
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都心の43個の几号水準点グーグルマップはこちら
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撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。