左:日無坂、右:富士見坂

文京区と豊島区のギリギリ坂道

正月早々に風邪でスタートダウンしておりましてぇ囧rz。
そんな私を気遣ってくれる親愛なる姉御から呑みのお誘いが!
姉御に誘われたら行かねばならぬ。うむ!
雪の残る夜、いそいそと足を進めました。
ハンソロ似の筆者「坂道社長、元気だったぁ?」
「ええ、ギリギリ生きています(ノ_-;)…」
ん?ギリギリ
頭の隅っこで思い出す企画。
そっ、そうだっ、ギリギリ坂道だぁ!
「ところで私、ハン・ソロに似てるって言われるんですがぁ?」
「はぁ?(ノ゚⊿゚)ノ、白髪とシワと服だけねっ」
まっいっか。てなわけで、ギリギリ坂道です。

姉御たち、文京区のお散歩グループは「ギリギリシリーズ」なんてものを撮っているのです。

ギリギリ区境

ギリギリって、要は区境のことです。
ギリギリ文京区!あはは(〃 ´艸`〃) ♪これってぇ坂道にもあるんですよぉ。

日無坂

文京区の日無坂はギリギリ。
豊島区、文京区の区境に位置しています。

文京区豊島区の区境にあたる日無坂

坂上に向かって左が豊島区、右が文京区です(^_^)。
昔は木々に覆われていて、昼間でも、真っ暗な坂道だったので「日無坂」と云う名称がついています。そして徒歩専用の風情ある階段坂です。

お江戸の階段坂

私の大好きな急坂の多くは、江戸時代、階段坂でした。

江戸名所図会より九段坂
江戸名所図会より九段坂

東京で最も有名な九段坂は、奥行きの長い階段が九つ続くので九段坂と呼ばれたともいいます。あまりに急だったので坂上部は削り、今の勾配になっています。

江戸名所図会より神楽坂
江戸名所図会より神楽坂

これまた有名な神楽坂もやはり、階段坂でした。
登りやすい、雨が降っても滑り落ちない。徒歩中心だった江戸時代、階段は最適だったわけで、籠や馬でも登れます(^_^)v。
では大八車はどうするの?ってぇ。
江戸名所図絵より大八車はい、九段坂の坂下には押し屋がいて繁盛していたようです。江戸名所図絵にも大八車が描かれています。
多くの階段坂は時代の流れとともに、自動車交通のために、平面坂へと変貌していきます。

文京区日無坂日無坂はどうでしょうか?
奥行きのある階段が続いています (≧∇≦)。
江戸時代の面影を残しているのかと、思ってしまいがちですが、そうでもなさそうです(*’д’*)。

古地図で検証

寛文10-13年(1670-73)新版江戸大絵図の神楽坂と軽子坂。
この江戸初期の地図は階段の明記(坂に||||||など)があります。

古地図:寛文10-13年(1670-73)新版江戸大絵図より神楽坂、軽子坂
寛文10-13年(1670-73)新版江戸大絵図より神楽坂軽子坂
古地図:嘉永6年1853年尾張屋刊江戸切絵図より神楽坂、軽子坂
嘉永6年(1853年)尾張屋刊江戸切絵図より神楽坂軽子坂

江戸後期の切絵図でも同じように階段坂の明記(|||神楽坂|||など)がありますが、日無坂はというと、、、

古地図:寛文10-13年(1670-73)新版江戸大絵図より
寛文10-13年(1670-73)新版江戸大絵図より
古地図:嘉永七年(1854年)尾張屋刊江戸切絵図より「ヒナシザカ」
嘉永七年(1854年)尾張屋刊江戸切絵図より「ヒナシザカ

あれ?日無坂に階段坂の表記が無い!どゆこと(?ω?)
幕末の切絵図では「ヒナシサカ」とあり、今よりもクネッた長い坂道で、大名の中屋敷(大岡主膳正、松平大炊守)の境界線となっています。
う〜ん、この坂はお江戸の坂道の姿ではなさそうですねぇ。
お江戸以降にだいぶ改修されています。なぜでしょうか?

新しい坂、富士見坂

日無坂はもともと、屋敷の庭と庭との境界線で人が歩けるくらいの坂道だったのは江戸時代の地図を見ればわかりますが、明治の地図を見てみましょう。

古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より日無坂
明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より日無坂

地形のわかるこの地図を見ると階段ではなく、急勾配の箇所でクランクしています。クランク曲りで、なおかつ、竹林に覆われています。なるほどぉ!、屋敷の庭の木々が覆いかぶさり、日が射さないので「日無坂」というネーミングは納得できます。

ん?、文章校正を頼んでいたワトソ子くんからメッセだ。
「坂道社長、日無坂って、そんなに暗いなら「幽霊坂」って呼ばれていてもおかしくありませんよねぇ?」

「う~ん、ワトソ子くん、いいところに気がついたねぇ。幽霊坂はゴミ坂または危険地帯の別名ということで近年の研究は進んでいますねぇ。大名は屋敷内にゴミ穴を作っていたというから、日無坂は大名屋敷間の道、ゴミ坂になるべくも無く「幽霊坂」とは呼ばれなかったのかなぁ?クランク部分からゴミを投げ捨てるとすると、大名屋敷内へ捨てることになってしまいますよねぇ」

この見解は、たぶん、当たってます(^_^)。
新宿区の庚嶺坂は幽霊坂、文京区の立爪坂もゴミ坂です。目白台地で怪しいのは胸突坂と坂道探偵は睨んでいます( ̄^ ̄;)。

話を戻して、
時代が下って、交通事情が変わると、太くて自動車の通れる坂道が必要となります。

古地図:昭和30-35年(1955-60年)1万分の1地形図
昭和30-35年(1955-60年)1万分の1地形図より富士見坂日無坂
左:日無坂、右:富士見坂
左:日無坂、右:富士見坂

そこで戦後、昭和30年代に真っ直ぐな新しい坂(のちの富士見坂)が開削されます(戦前の自動車パワーではこの目白台地は登れなかったということでしょうか?)。新しい坂の開削と同時に日無坂も徒歩専用の階段坂として整備されたようです。

富士見坂プレート富士見坂の坂上にプレートがあり、明治百年記念と書いてあります。実は、しばらくの間、明治の坂かと思っていましたが、明治百年記念の年は、1968年(昭和43年)で、昭和43年に富士見坂と命名したという意味だったのです。昭和43年当時は坂上から富士山が見えたそうですが、あまりにストレートで安易な命名です。おかげで今では富士山が見えない富士見坂を増やす結果に囧rz。この近辺で富士山がたまに見えるのは護国寺富士見坂のみです。まっ、いっか。

富士見坂、坂下より
富士見坂、坂下より

昭和43年以前は、こちらの坂も日無坂と呼ばれていたようです。
坂下から見るとかなりの急坂とわかります。
自動車が唸りをあげて登っていきます。

坂上からの景観がグットです。

左:日無坂、右:富士見坂日無坂、富士見坂が合流するY字地点のお家は特徴的です。
トマソン物件でいうところのカミソリ建築(とんがったカミソリ形状)で、これ見ると都市散策をしている方はニヤリでしょうね( ̄ー+ ̄)

ギリギリ建物

このお家は、蔦の絡まる古いお家で、ギリギリの建築寿命か?
私の走力も目白台地の急坂ではギリギリ。。。ヘ(; ・・)ノ汗。
もう一つ、走力ギリギリの坂をご紹介しておきましょう。

のぞき坂

のぞき坂

富士見坂の西側500メートルにある豊島区の急坂で、都内にある相互通行二車線車道としては、ナンバーワンの勾配です。
当然ながら、滑り止めのドーナツマーク(○)がついています。
坂上から坂下を覗き込むようになるので「のぞき坂」の名称があります。
銭湯がのぞけるっ⁈
なんてぇことを考えた君もかなりギリギリですよ(*´艸`*)。
んじゃ(‘ヮ^*)ノ゙。

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