文京区では播磨坂「文京さくらまつり」と並んで出色なのが白山神社「文京あじさいまつり」。2018年は6月9日(土曜日)~17日(日曜日)まで開催。色とりどり約3,000株のあじさいが目を楽しませてくれます。
あじさいだけでなく歴史も知ると白山神社はもっと楽しめます。
江戸名所図絵をみると

もとは白山御殿の地(今の小石川植物園)から移転してきたと云われる白山権現社。この白山神社、江戸名所図絵をみると、珍しく裏門方向から描かれ、表門には門前町がびっしり。また、祠(ほこら)が数々描かれ、その多くが残っています。
薬師坂を登れば都営三田線の白山駅。そこは、白山神社の表参道、門前町が見えてきます。


白山神社境内に入ると、江戸名所図絵に描かれている祠がたくさん残っているのを目にします。



祠と言うには大きすぎる神社もあります。

これは、江戸名所図絵で云う「神明」です。御由緒書きには昭和28年改修、松尾大明神の文字が見えます。
酒造の神様は、ずいぶんと酒造会社から感謝されているようです。
清酒感を出すためか社(やしろ)が青白く塗られています。
八幡太郎ゆかりの白旗桜
永承6年(1051年)八幡太郎源義家が奥州平定の途中、この地を通った時、源氏の白旗をこの樹にかけ戦勝を祈願したとの言い伝えがあります。
実は昭和12年、枯死し、現在は二代目と云われています。もしかすると三代目か四代目かもしれません。
白山神社の拝殿と本殿の間の渡り廊下は江戸名所図会にも描かれています。
お江戸の頃の人はあまり背が高くなかったと云いますが、背の低い私でさえもかがんでくぐる程の低さです。
このように、お江戸の情景を色濃く残す白山神社です。
薬師坂
薬師坂(薬師寺坂、浄雲寺坂、白山坂) 「妙清寺に薬師堂有之候に付、里俗に薬師坂と相唱申候」(『御府内備考』)坂上の妙清寺に薬師堂があったので、薬師坂と名づけられた。また、坂下に浄雲院心光寺があったので、浄雲寺坂とも呼ばれた。また近くに白山神社があり、旧町名が白山前町で、白山坂ともいわれるなど、別名の多い坂の一つである。 『新撰東京名所図会』には、「薬師堂は、土蔵造一間半四面。「め」の字の奉額、眼病全快者連名の横額あり」、と明治末年の姿を記している。 このお薬師は特に眼病に霊験あらたかであったようである。土蔵造は、江戸の防火建築で、湯島本郷辺の町屋が土蔵塗屋づくりを命じられたのは、享保15年(1730)の大火後である。現存するものに無縁坂の講安寺本堂がある。 文京区教育委員会 平成14年3月
坂下から行くと、別名「浄雲寺坂」の謂れとなった静かな趣きのある浄雲院心光寺が目に入ります。

説明文中の最後の耐火建築で名高い講安寺は無縁坂にあります。

名作と名曲の「無縁坂」へ
切絵図を見ると
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坂上に「薬師坂」の名の由来になった今は無き妙清寺があります。別名「浄雲寺坂」の由来になった浄雲寺と心光寺。白山神社境内には「八幡太郎ハタカケサクラ」の表記があり、北側に大きく「富士」が描かれています。
富士塚は、あじさいまつりの期間中のみ一般公開です。
富士塚

この富士塚、実は新しいものようです。切絵図では北側のもっと大きい敷地に描かれ、山頂の社も新しい。と思って見ると傍に、古い石が……。移設されたもののようです。
アイノミチ
切絵図にある「アイノミチ」?
「愛の道」かとロマンチックな想像をして、調べてみると、相の道=T字路、追分の意味です。
そう、この近くには、すでに白山上にT字路である追分があるので、追分と区別するためアイノミチと呼んだのでしょう。

裏門
白山神社の長い裏門階段。さすが江戸名所図会に裏門から描かれるだけのことはあります。


一里塚?
裏門の通りをまっすぐ行くと、妙な道割が……。
一里塚はこのような形で残っているところもあるのですが、地図を見比べてみると……。

白山通りの開通で出来てしまった三角地帯。トマソン物件ではカミソリ建築と言うトンガリ建物がありますが、ここはカミソリ土地でした。
あじさいだけでなく、古地図・江戸名所図会で、もっと楽しめる白山神社です。
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