新宿区市ヶ谷近くのゴミ坂でブラタモリにも登場した興味深い坂です。ここを訪れてみて思うのは、ごみざか歩道橋がなかったら、この坂からは身を投げるか、ゴミを投げるしかないというような崖っぷちなのです。
DNP(大日本印刷)のエリアで、ずいぶんと地形が変わっているとは思いますが、お江戸、明治の頃も急坂だったようです。


江戸切絵図を見ても、町人地が多く、お堀の水運を利用してゴミを永代島(深川沖の埋め立て地)まで運搬していたと想像できるシュチエーションです。
明暦元年(1655年)正宝事禄にある町触れ 一、町中の者は川の中、あるいはその周辺に掃き溜めのゴミを捨ててはいけない。今後は船を使って永代島へ捨てに行きなさい。ただし、夜間のゴミの持ち出しは禁止し、昼間だけにすること。
以前、胸突坂はゴミ坂だったのではないか?と疑惑の目を向けましたが、ここがゴミ集積場であったということは誰も疑うことはないでしょう。
「御府内備考」にも記述があります。
坂、長凡二十間程幅一間。右は町内北の方に当、西より東え登坂にて古草木覆茂有之候に付、暗闇坂と唱、其後芥捨有之候故、芥坂と茂申伝候由
別名「暗闇坂」と言っています。「其後芥捨有」と言っているので、目隠しの森の裏にゴミ捨場があったのでしょうか(芥とは、ごみ、ちり、くずの意味)。

明治初期の地図をみても、芥坂とあり、ずいぶんと急坂です。
疑いの余地はありません。では、近くの牛込神楽坂にあるもう一つのゴミ坂まで行ってみましょう。
走ってみると、
なっ、なんと!このルートが江戸市中引き回しコースと同じだったのです。なるべく分かりやすい道でと考え、走ってみると江戸市中引き回しコースとカブっているではありませんか!