明治三十六年、仮オープンした日比谷公園。人々は見たこともない洋花、草木に目を奪われます。
明治三十八年(1905年)八月一日、野外音楽堂が遅れてオープン。新しい洋、ハイカラな「洋楽」が加わります。
この頃の西洋音楽事情は、やっと蓄音機が登場したものの庶民には高嶺の花。洋楽など聴いたことがない市井の人々が大多数、演奏できる人も限られています。そこで、当時としては唯一の組織的音楽集団である軍楽隊に演奏を依頼します。



陸軍戸山学校軍楽生徒隊から選抜された約50名の吹奏楽オーケストラ、指揮はフランス留学帰りの永井建子(けんし)。その物珍しさから新聞に予告が出るほどの盛り上がりを見せます。

新聞には当日のプログラムも発表、弦楽を伴わない吹奏楽であることもていねいに説明されています。
初めてのプログラム
開堂式は音楽堂の周りにベンチを設けて市長・尾崎行雄のあいさつからはじまります。多くの明治の市民が初めて聴いた洋楽曲の数々が日比谷に流れます。
日時:明治38年8月1日(火)18:00
挨拶:東京市長・尾崎行雄
指揮:永井建子
演奏:戸山学校軍楽隊
【第一部】
行進曲「日章旗」永井建子作曲
大序「歩哨の警報」クロドミール
歌劇第一場「フォースト」グーノー
ヴァルス「安留爾多」アルヂチー
ポルカ「タ・ラ・ラボンデレー」セイセル
【第二部】
行進曲「米国旗と永久」スーザー
大序「ギュイヨーム・テル」ロシニー
歌劇「タンホイゼル」ワグネル
長唄「老松」
ヴァルス「森林の会合」ストロース
ヴァルス=ワルツ。米国旗と永久=星条旗よ永遠なれ。ギュイヨーム・テル=ウイリアム・テル。ロシニー=ロッシーニ。フォースト=ファウスト。グーノー=グノー。タンホイゼル=タンホイザー。ワグネル=ワーグナー。ストロース=シュトラウスと理解すれば、名曲ぞろいのプログラム。洋楽に飽きた頃に長唄を入れる手の入れよう。午後6時から2時間の行程ですが、アーク灯を備えた日比谷公園ならでは。

コンサートは大成功を収め、その後、隔週で開催されます。当初、無料でしたが、多くの人々が押し寄せたため、整理のため五銭の入場料をとり、その収益でフェンスを作って入場を制限。のちに整理券は公園事務所で販売されるようになります。

指揮者の永井建子はその後、帝国劇場の洋楽部長に就任。オペラを自作し上演。日本の洋楽の礎を築いてゆきます。

日比谷公園で産声をあげた洋楽は市民権を得て、市井に広まっていきます。


