明暦の大火以降、千代田城田安門外の九段坂上は、火除地となり、建物の建築が許されませんでした。


幕末になると幕府は外国の脅威に大慌て。九段坂上の火除地を西洋式部隊の歩兵の練兵場とします。

ご維新後は新政府がここに招魂社(のちの靖国神社)を建立して戊辰戦争の犠牲者を供養します。


招魂社までは長い参道が出来ますが、古地図を見ると……。

本殿へとのびる真っ直ぐな参道の周りに、不思議なトラックがあります。

これは日本人による初の競馬場……というのは、横浜と神戸の港町には貴族の社交としてのホースレースコースがあり欧米人が楽しみます。
九段の招魂社では例大祭に陸軍の軍人軍馬が出馬、英霊を慰める趣旨でした。ところが……。


神聖な行事のはずでしたが、急カーブで落馬が相次ぎ、順位が読めないスペクタルな展開が話題になります。初めて見る競馬に加えて、落馬必死のスリリングなコーナリング。競馬は大人気となります。

明治三十四年(1901年)あまりに狭く危険なコースのため廃止されますが、靖国神社で始まった競馬は市民権を得て、日本全国に拡まってゆきます。
