小林清親画「九段馬かけ」

【名画を歩く】九段にあった競馬場

明暦の大火以降、千代田城田安門外の九段坂上は、火除地となり、建物の建築が許されませんでした。

元禄年間江戸大絵図より
元禄年間江戸大絵図より。
元禄大江戸図より
元禄大江戸図より。

幕末になると幕府は外国の脅威に大慌て。九段坂上の火除地を西洋式部隊の歩兵の練兵場とします。

切絵図「番町絵図」より
切絵図「番町絵図」より。

ご維新後は新政府がここに招魂社(のちの靖国神社)を建立して戊辰戦争の犠牲者を供養します。

招魂社
明治十年(1877年)頃の招魂社。
招魂社参道
招魂社参道。

招魂社までは長い参道が出来ますが、古地図を見ると……。

明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より。
明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より(クリックで拡大)。

本殿へとのびる真っ直ぐな参道の周りに、不思議なトラックがあります。

小林清親画「九段馬かけ」
小林清親画「九段馬かけ」。

これは日本人による初の競馬場……というのは、横浜と神戸の港町には貴族の社交としてのホースレースコースがあり欧米人が楽しみます。

九段の招魂社では例大祭に陸軍の軍人軍馬が出馬、英霊を慰める趣旨でした。ところが……。

三代目歌川広重画「東京滑稽名所靖国神社競馬の名人」。
三代目歌川広重画「東京滑稽名所靖国神社競馬の名人」。
月岡芳年画「東京招魂社内外人競馬図」。
月岡芳年画「東京招魂社内外人競馬図」(クリックで拡大)。

神聖な行事のはずでしたが、急カーブで落馬が相次ぎ、順位が読めないスペクタルな展開が話題になります。初めて見る競馬に加えて、落馬必死のスリリングなコーナリング。競馬は大人気となります。

現・靖国神社参道。
現・靖国神社参道。

明治三十四年(1901年)あまりに狭く危険なコースのため廃止されますが、靖国神社で始まった競馬は市民権を得て、日本全国に拡まってゆきます。

上野不忍池競馬
上野不忍池競馬。

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