神楽坂からは登り下り大小様々な坂が延びています。
坂道だらけの神楽坂ですがオシャレな坂が多く、2007年に放送されたTVドラマ「拝啓、父上様」の反響も大きく、観光の目玉にもなっています。
フランス坂
坂下に銭湯「熱海湯」があったので熱海湯坂と呼ばれていましたが、「拝啓、父上様」でヒロインの「リンゴの君」がリンゴを落としてから一躍有名になり、今風にフランス坂とか、リンゴの坂と呼ばれています。
この辺りは日仏学院(アンスティチュ・フランセ東京)が近いのでフランス人が多く住んでいます。
フランス坂、リンゴの坂の他に、坂下に銭湯「熱海湯」あるので熱海湯階段、熱海湯坂、一番湯の路地、カラン坂(芸者さんの下駄の音、タライの中で鳴る石鹸の音)などの別名があります。


無名の坂
「拝啓、父上様」で、おかみさんが猫に餌をあげていた坂です。坂下は熱海湯のコインランドリーで、ここで主人公の一平君は洗濯をしていました。
無名の坂ですが、私はコインランドリーの坂と呼んでいます。坂を登るとアグネスホテル。倉本聰氏が宿泊して、この物語を書いていたホテルです。


クランク坂
「拝啓、父上様」では坂下の空地に料亭の車が停めてあり、ここから築地へ通っている設定でした。
今は駐車できる空地はなく、モダンなお店ができています。
神楽坂エリアは複雑な地形でどこもクランクだらけですがここだけをクランク坂といっています。

袖摺坂
「拝啓、父上様」の中で一平君と彼女が、狭そうに肩を寄せて登っています。

それもそのはず、上り下りする人の袖が摺り合うので袖摺坂。

二人が会っているのは外堀内のカナルカフェです。
瓢箪坂
ひょうたんのシルエットのようにクネックネッと曲がっているので瓢箪坂といいますが、感覚的にそんなに曲がってないように感じます。
近辺に瓢箪がなっていたとする説のほうがシックリします。

駒坂
こんな小さな坂ですがちゃんと名前があり「駒坂」。瓢箪坂と繋がるので「ひょうたんから駒」ということで駒坂といいます。このカーブと手すりが欧米かっ、というくらいオシャレです。
これでもれっきとした区道なんです。
いつ見ても観光客と思しきご老人が降りてきますが、神楽坂観光コースでは下りるような道順になっているのでしょうか?

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兵庫横丁の坂
新宿区まちなみ景観賞も受賞している情緒のある兵庫横丁。
横丁内のレトロな旅館「和可菜」は、寺山修二氏、野坂昭如氏、山田洋次氏、早坂暁氏、倉本聰氏などが滞在し、数々の名作を誕生させました。

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毘沙門天への細道
神楽坂通ならこの道。兵庫横丁から毘沙門天前に出る細道。ニノ君もここを通って毘沙門天へ行っています。


軽子坂
神楽坂と平行して登る坂で神楽坂が商業の坂なら、軽子坂は運輸の坂です。
江戸名所図会にも描かれていて、お堀端にある揚場(船荷を陸揚げする場所)から伸びています。
軽子とは軽籠持、運送人夫のことで、そういえば、神楽坂より緩く登りやすい坂です。
坂上から左(西側)に折れれば神楽坂です。神楽坂の雑踏をさけたいときはこちらを登るといいでしょう。

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この坂は神楽坂よりもずっと古い坂で古鎌倉街道ではないかという研究者もいます。
街道監視のための牛込城の出城が筑土八幡にあったという人もいます。筑土八幡の崖を見ると納得してしまう説です。
庚嶺坂(ゆれいざか)
江戸初期の頃この辺りに梅林があり、将軍秀忠公が中国の梅の名所「大庚嶺」に因んで命名したとか。
幽霊坂、若宮坂、行人坂、祐玄坂、祐念坂、唯念坂、新坂と、別名が多すぎ!
坂別名コンテストがあれば優勝します。
お江戸の頃は芥坂のようなゴミ坂だった可能性大ですが、坂の景観はグットです。

意外な歴史の神楽坂四部作
神楽坂と光照寺(牛込城跡)
神楽坂と仇討ち事件
神楽坂と漱石先生
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