「江戸に多きもの。伊勢屋、稲荷に犬のフン」などと地口(シャレ)に申しまして……伊勢屋?

江戸には伊勢出身の商人が多く、屋号「伊勢屋」を名のる店が多かったこと。お犬様、野良犬が多かったこと。
そして、お江戸東京はどこへ行っても稲荷があり、地元の方々に大切にされています。
あの銀座でさえ例外ではありません。
なぜ銀座に稲荷が残るのか?
明治五年(1872年)大火で焼けた銀座はレンガ街として蘇りますが、そのとき、東海道(銀座中央通り)に面した地区は一等レンガ街、銀座中央通りに交差する通り(現・花椿通り、みゆき通りなど)に面する地区は二等レンガ街、それらに囲まれた内側の地を三等地区として地元地権者の住む街とします。
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この地図でいうと、ピンク色がレンガ造建築、赤が公共物、グレーが木造民家で一目瞭然。
外見はハイカラなレンガ街ですが、内側には江戸時代さながらの長屋が存在し、町人文化がディープな路地裏に残ることになります。
太刀市の幸稲荷神社
お江戸の頃、紺屋町の守り神とされ、また、ここでは、太刀(日本刀)の市がたったことから別名・太刀売稲荷。

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「立賣」とは「太刀売り」。
このあたりで太刀の市がたっていたとは意外な驚きです。商売繁盛、縁結びの神とされています。
武家屋敷、料亭にあった稲荷
銀座一丁目にはたくさんの趣ある建物、路地が残ります。
まさかここが映画博物館?
この路地を抜けると北側に……

江戸時代、新庄美濃守の屋敷があり、屋敷神として祀られた稲荷神社。
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明治になって料亭「万安樓(まんやすろう)」が創業。古地図をみると、なるほど、大きな池と築山がふたつの庭を持つ料亭です。その敷地内で安平神社として祀られ、この地に残ります。
同じように武家屋敷にあった稲荷が木挽町にあります。こちらは宝珠稲荷神社。

元和元年(1615年)板倉内膳匠重昌の江戸屋敷内に、家内安全、火除の神として祀られたことが始まり。
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ご維新後、宝珠稲荷神社は、地元木挽町の氏子に寄進され、現在に至ります。
木挽町といえば歌舞伎座。

歌舞伎稲荷神社は路地裏でなく、表通り、晴海通りに面しています。もともとこのお稲荷さんは、大入りや興行の安全を祈願して祀られ、歌舞伎俳優や劇場関係者の方々が興行初日と千秋楽にはお参りしています。
サルが手招く宝童稲荷神社
キューピットが天賞堂の角からアイツを狙っています……。
キューピットの目線の先にはサルがいます。サルは手招きし、それに誘われ路地を覗くと小さな鳥居が……。

江戸時代、名主の弥左衛門が勧進。旧町名も弥左衛門町とわかりやすい。
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健やかな子供の成育に御利益があると伝えられています。サルも健やかに遊んでいます。
天に声が届く朝日稲荷神社

交差点の角にあるのが朝日稲荷神社拝殿。ここだけかと思うと、ビルの8階から非常階段を登り屋上に出ると、本殿があります。
屋上の拝殿はなにやら喧騒が聴こえてきて騒がしい……?。
地上の拝殿にマイクが仕掛けてあって屋上の本殿にはスピーカー。参拝者の声が本殿の神様に届くようにしてある、銀座らしい稲荷です。
不幸を吹き飛ばしたあづま稲荷大明神
中央通りに平行するあづま通りは戦災で大きな被害を受けます。

その後、復興するも火事が多発。どうしたものかと思案していると、その昔、ここの三原小路に稲荷があった事が判明。
稲荷を復活勧進したところ、それ以降、ピタリと火事が無くなったというご利益ある盗難避け、火防の神さまです。
銀座の由緒ある表通り
あづま通りのようにメインストリート銀座中央通りに平行したり、交差する通りがたくさんあります。
有名なのは「みゆき通り」。東京駅から皇居へのびているのは、漢字で「御幸通り」。皇室、各国の要人がお使いになられます。


銀座のみゆき通りは代々の将軍が浜離宮へ御幸の際に使った道で、その格式を表すため街灯には鳳凰が立っています。

資生堂パーラー、花椿通りがある八丁目の旧町名は出雲町。出雲富田藩が埋め立てを担当したことに由来します。そのご縁から、昭和のはじめ、出雲市から出雲椿の寄贈を受け植樹、花椿通りと呼ばれます。

銀座中央通りに並行し、新橋に近い金春通りは江戸時代、能役者集団「金春流」の屋敷がありました。
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ご維新後は新橋の花街となり、名だたる政治家が集まる社交の場となります。新橋の花街(築地、烏森花街含む)から政治家の夫人になったのは、山県有朋夫人・貞子、陸奥宗光夫人・亮子、原敬夫人・浅子、犬養毅夫人・千代子など、枚挙にいとまがありません。



路地裏ディープな豊岩稲荷神社
金春通りの先、銀座七丁目の路地裏名物は豊岩稲荷。
ビルの入口のような路地を入ると……

この路地、行き止まりかと思うと喫茶店を通り抜け、向こう側の銀座六丁目方面にでることができます。
薄暗くまるで探検。
ここに出ます。
旧町名を残す八官神社
銀座八丁目の八官神社はもとの名を「穀豊稲荷神社(こくほういなり)」。古地図をみると、八官町。鳥居と参道は外堀通りに向いていたようです。


古写真にも外堀通り八丁目、八官町十二番地と説明がありますが、いまでは外堀通りの裏側に鎮座します。

関東大震災後の区画整備で消えゆく八官町という町名を残すため穀豊稲荷神社は八官神社と改名します。
デパート屋上の神様
もと松坂屋(GINZA SIX)屋上の靍護(かくご)稲荷は上野松坂屋から昭和四年(1929年)に分祀されたものです。

GINZA SIXは、老舗らしく庇とのれんをデザインした外観を持ちます。
ここから見るとなるほどです。
松屋の屋上には龍光不動尊。「流行」にかけてシャレています。

その他、ビルの中に入り、祭りの時、ビル前にお見えになる銀座稲荷、金春稲荷、成功稲荷神社などがあり、ブティックが建ち並ぶハイセンスな街に、今日でも江戸文化が深く息づいています。
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