東京大学構内には、お江戸の頃の歴史的遺物もありますが、明治以降の遺物、不思議なもの、珍しいもの、謎なものが豊富。まずは足元を見てさえも驚きます。
マンホーラーの聖地・東大
東大専用マンホール蓋は、確認情報で25種類もあるそうで、東京帝国大学と描かれている古く厳めしいものもあります。
かと思えば春日門付近にはケロちゃんが数匹いて「みつけてケロ!」と微笑んでいます。
東京帝国大学「暗渠」「雨水」と描かれているマンホールの先には、流れ込む先には、三四郎池があります。
「三四郎」の三四郎池
夏目漱石の小説「三四郎」の中で、三四郎がヒロイン美禰子に見惚れたのがこの池のほとり。
漱石の描写は古地図をみるとよく理解できます。
同郷の先輩・野々宮が研究に熱中している理科大学(今の安田講堂の北側)、その妹・よし子が入院していたのが大学病院の青山(青山胤通)内科。




「三四郎」には「赤煉瓦のゴシック風の建築」「あの建物(おそらく法文科)はなかなかうまくできていますよ。工科もよくできてるがこのほうがうまいですね」などと、物理学者だが芸術も解する野々宮の語るセリフもありますが……。
この頃の建物は関東大震災で崩壊。三四郎池には赤煉瓦の瓦礫が点々と残り、漱石が見ていた風景はこれなのかと思うと少しだけ涙します。が、しかし、残るものもあります。

森鴎外も在籍した医科大学だけは、小石川植物園に移築され東京大学総合研究博物館小石川分館として現存しています。
謎の建物
三四郎池と安田講堂との間、濱尾新学長の銅像の東側に不思議な建物があります。
いったい、これは何なのか?ほとんど廃墟。おしゃれな丸窓から覗くと内部はこのような光景。
その廃墟感にワクワク、マニアにはグッときますが、ググっても、誰に聞いても判らずに、東京大学総合研究博物館に聞きにいくと……。

「ああ、あれねぇ、まだ三四郎池の水が豊かだったころ、池の水を汲み上げて散水車で木々に水あげしてたんですよ」
と教えていただき、疑問解決。
ありがとうございました。
アインシュタインが乗っていない伝・アインシュタインのエレベーター
東京大学総合研究博物館にはこんなおもしろいものがあります。
アインシュタインは、大正十一年(1922年)十一月に来日、東京帝国大学で講義を行っています。
その場所は関東大震災で崩壊した理科大学。

アインシュタインゆかりの場所は全て失われています。このエレベーターの巻き上げ機は大正十五年(1926年)理学部旧一号館に新設されたもの、アインシュタイン来日以降のもので、アインシュタインは乗っていません。
アインシュタインが頭の中で行う思考実験、エレベーターを自由落下させ無重量状態を作り出すという話は、一般相対性理論において有名です。
なので、いつしか学生たちはエレベーターを見る度にアインシュタインを追想したのでしょう。
アインシュタインが騙したわけではありません。
安田講堂ならロックフェラー図書館?

東大の大講堂は安田財閥の寄付(大正十年に110万円・大卒初任給50円の時代)によって建てられ安田講堂と呼ばれています。

一方、総合図書館はロックフェラー財団の寄付(大正十三年、安田財閥よりも多い400万円)によって建てられますが、ロックフェラー図書館とは誰も呼びません。不思議です。
おそらく、軍国の世、敵性語が禁止されたことに原因があるのでしょう。
構内で一番古い建物
赤門を入ってすぐ左におしゃれな煉瓦造の建物があります。
明治四十三年(1910年)に建てられた人力車車庫は、その後、東京大学出版の製本所を経て、現在、東京大学コミニュテーセンターになっています。

これに次いで古いのが旧大学病院の発電所。
現役時代、医療機器を動かして多くの命を救い、いまでは粗大ゴミ置き場の奥に佇み、枯れてゆくのを待っているような風情。なんとかして残してもらいたい歴史的遺物です。
その他、東大には夏目漱石の脳みそщ(゚Д゚щ)、鹿鳴館の階段などが列品館にあるそうですが門外不出とのこと。機会があればいつかは見てみたいものです。

「東京大学不思議ツアー」江戸時代編へ
知っておきたい東大の銅像ウンチクへ
文京区の名坂トップへ
学舎の迷宮「東京大学不思議ツアー」近世編グーグルマップはこちら
またはマップ右上の拡大表示ボタンをクリックしてグーグルマップでご覧ください。