怪談「番町皿屋敷」を科学する

千代田区番町は外濠の内側、市ヶ谷御門内(市ヶ谷見附内)。将軍の警備にあたる大番組、旗本の面々が土地を与えられ屋敷を構えたところで、一番町から六番町まである武家地でした。

古写真:市ヶ谷見附
古写真:市ヶ谷御門。市ヶ谷御門(現・JR市ヶ谷駅)の内側は番町。

そしてここは怪談噺「番町皿屋敷」の舞台とされ、折檻を受けた「お菊」が帯を振り乱して降っていったと云われる「帯坂」も存在します。

帯坂
帯坂。

しかしながら、番町皿屋敷の物語は全くのフィクション。
登場人物はほとんどが架空、実在した人物は時代があわなかったりします。
番町ではなく播州皿屋敷という物語もあり、皿屋敷伝説は日本各地の城下町に点在しています。

千代田区番町
千代田区番町。

武家屋敷が連なる番町

なぜ、江戸の番町が怪談噺の舞台になったのでしょうか?

古地図:元禄年間(1688-1703年)江戸大絵図より。
古地図:元禄年間(1688-1703年)江戸大絵図より市ヶ谷御門内の武家屋敷が乱立する番町(クリックで拡大)。

古地図を見るとわかるように番町には武家屋敷が連なり町人地は皆無。家来の住む長屋の塀に囲まれた武家屋敷の内部は通りからは見えずに、町人にとっては、武家屋敷内で起こっていることは想像するしかありません。

古写真:愛宕山からみた武家屋敷の長屋塀。
古写真:愛宕山からみた武家屋敷の長屋塀。

そんな武家屋敷から大きな音や叫び声か聞こえてくれば、町人にすれば無気味に思えるのは当然。ネズミに驚いたお女中の叫び声でさえ、なにやら刃傷沙汰?などと想像を膨らましてしまいます。皿の割れた音щ(゚Д゚щ)!ぞっとします。
皿屋敷の伝説は人間の想像力が産んだお話です。

また、皿屋敷=更地、武家屋敷跡の更地とも考えられ、お家取り潰しなどで更地になった屋敷跡は日本各地にあり、これが皿屋敷伝説が全国にある所以です。

お菊の井戸とは

そして更地になった屋敷跡には雑草がうっそうと生え、ところどころに古井戸跡が放置されていたはず。

もと加賀藩邸だった東京大学構内にも古井戸跡が残っています。

東大(加賀藩邸)の古井戸跡。
東大(もと加賀藩邸)の古井戸跡。
加賀藩上屋敷東御長屋上壇の井戸説明板。
加賀藩上屋敷東御長屋上壇の井戸説明板(クリックで拡大)。

東大構内の古井戸跡には鉄板の蓋に鍵をして落下事故を防いでいます。

そう、皿屋敷お菊の井戸の怪談噺のはじめは、落下事故を防ぐための注意喚起がもとになっています。その意味、目的では幽霊坂と似ています。

幽霊坂とは?

帯坂と三年坂

幽霊坂はなんらかの危険に人々を近づけさせないためのネーミングですが、帯坂も坂を下ると市ヶ谷御門の枡形があり、荷を満載した大八車などは勢い余って御門に衝突しかねません。

古地図:安政五年(1858年)東都番町大絵圖より帯坂と三年坂
古地図:安政五年(1858年)東都番町大絵圖より帯坂三年坂(クリックで拡大)。

また、都内に多くある三年坂が近くにあります。三年坂で転ぶと三年以内に死ぬとか、転んだら三回念仏(三念)を唱えないといけないとか、要は「気をつけろ」というサインです。実際、三年坂下は外堀で、下手をすれば堀にザブン。

三年坂
三年坂。
帯坂
帯坂。
東京メトロ南北線市ヶ谷駅コンコースにある市ヶ谷御門の遺構。
東京メトロ南北線市ヶ谷駅コンコースにある市ヶ谷御門の遺構。
帯坂をまっすぐ降りるとある市ヶ谷御門の石垣石。
帯坂をまっすぐ降りるとある市ヶ谷御門の石垣石。

お菊さんの帯坂だから気をつけろ!祟りがあるぞ」などと言われれば、少しは慎重になるというもの。

とある疑問が……

番町に古井戸跡があったとして、この井戸は江戸っ子自慢の木樋(木で出来た水道管)を使った地下上水道網の井戸だったのでしょうか?
かりに遺体が投げ込まれたとすれば、下流につながる他の井戸の水質の変化で犯行がバレてしまう……などと変なことが気になり、東京都水道歴史館を訪れます。

東京都水道歴史館

東京都水道歴史館

江戸の低い土地は海を埋めたてたもので、井戸を掘っても海水混じりで飲料には適しませんでした。そこで大都市・江戸では木樋・石樋からなる水道管を市中にはりめぐらし飲料水を確保。

江戸の上水

「神田の井戸で産湯をつかい……」というのは、当時の最先端技術を自慢した江戸っ子のいいぐさです。

木樋
木樋。
上水井戸
上水井戸。
汐留の仙台藩邸の地下水道網。
汐留の仙台藩邸の地下水道網。

学芸員さんに訊いてみます。

千代田区の番町ですかあ。あの辺りは標高が高く、玉川上水の木樋はとおっていませんねえ。玉川上水の四谷大木戸辺りでは標高32.7m、四谷見附29.5m。ここまではスムーズに流れますが、六番町は31.9mと高くなって玉川上水の木樋はとおっていません。もともと海ではなく高台だったので掘れば地下水脈にあたったのでしょう
やはりそうですか。市ヶ谷の舟河原町、逢坂下には堀兼の井戸(はじめ、いくら掘っても水が出なかった井戸)もありますもんねぇ
ええ、番町の各武家屋敷では堀り井戸を掘って使っていました。それに水圧の関係上、竹樋を伝わって汚水が逆流することは、まず考えられませんねぇ

古写真:明治39年の逢坂。写真右に堀兼の井戸が写っています。よく見ると中央にナベズルの小道も見えます。
古写真:明治39年の逢坂。写真右に堀兼の井戸が写っています。

逢坂

アルミ製ポンプとなって今も使用可能な堀兼の井戸。
アルミ製ポンプとなって今も使用可能な堀兼の井戸。

なるほどぉ。ということは、番町にあった井戸は堀り井戸で、しかも深くまで掘った井戸だったようで、たとえ遺体を投げ込まれたとしても江戸っ子には害がなかったようです。

怪談噺「番町皿屋敷」は、町人にとってなじみのない番町、得体のしれない武家屋敷と、古井戸への落下注意喚起がもとになった物語です。

それにしても「一枚……二枚……三枚……」の繰り返しが恐怖を倍加させるよく出来たお話です。
「おしまい……ああぁサゲですべったぁぁぁ……うっうぅ……」

お菊の井戸

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