この坂はだいぶ改修されていますが、その起源は古く、すでに元禄期の地図に描かれ、武家地に囲まれた坂下に町人地があり、この町人地は二つの道に挟まれ、隔離されているかのようにも見えます。
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青山の高台から見れば谷底にあるような百姓町人地、よほど身分の低い人々が住んでいたのか、武家からみれば近づきたくなかったのか、幽霊坂と呼ばれます。
乃木希典
明治の初め、乃木希典(当時の階級は中佐)は芝区西久保桜川町(現・港区虎ノ門一丁目)に居住、今は虎ノ門二丁目交差点に碑があります。

この頃の乃木は西南戦争で軍旗を奪われたことを苦に自暴自棄になっていたと云われ、それを紛らすための放蕩ぶりは甚だしく、つむぎの着流しに角帯しめたオシャレな出立ち、あれでも軍人かと後ろ指を指されつ、柳橋、両国や築地の花街で毎晩遊び、自身の結婚式にも何をしていたのか五時間も遅刻、宴席ではつぶれるまで泥酔。長男誕生の際も呑んだくれていたと。
明治十二年(1879年)八月、長男勝典誕生を機に、赤坂区赤坂新坂町(現・乃木坂)に転居しますが、呑んだくれ生活は続き、しまいには静子夫人が勝典、保典の二人の子供を連れて、湯島本郷の実家に帰ってしまうほど。
幽霊坂
明治の初めの乃木坂周辺を見ると当然ながら乃木坂の名は無く、そこにあるのは「幽霊坂」。別名「なだれ坂」が示すように標高32.8mから16.9mまで落ち込んでいます。

乃木三十八歳のとき、転機が訪れます。
明治二十年(1887年)一月から一年半の間、ドイツに留学。感化され、人が変わったかのように軍人らしい厳格さを身につけて帰国。そしてやがて日露戦争の波乱に巻き込まれていきます。
舊(旧)乃木邸


明治後期、地図上に乃木邸が顕れます。幽霊坂上の乃木邸と呼ばれ、乃木大将率いる第三軍が旅順で苦戦、おびただしい犠牲を出すと静子夫人が留守を守る乃木邸には石が投げられることも。
日露戦争に勝利はしたものの、多くの将兵を、そして自らも二人の息子を失い、明治天皇に切腹を切望するも「今は死ぬべき時ではない、どうしても死ぬというのであれば朕が世を去った後にせよ」とのお言葉を下されたと云い、その日を待っていたかのように、明治天皇大喪の礼の日(大正元年1912年九月十三日)自宅乃木邸で夫人と共に自刃します。




この殉死をすべての人が賞賛したわけではありませんが、軍神と祟られることになり乃木邸隣地に乃木神社が大正十二年(1923年)建立されます。

それに先立ち、大正元年(1912年)九月十九日、乃木夫妻葬儀の日に赤坂区議会の決議により、そのおどろおどろしい名の幽霊坂は乃木坂と改名されます。
ラスト・サムライ
敗将ステッセルを思いやり、辱めを受けないようにと対等の立場で記念写真を一枚だけ撮らせ、武士道を具現化した乃木大将は、当時、世界で一番知られる日本人でした。
葬儀の参列には外国人も多く「世界葬」と言った人もいるほど。海外の新聞では「ラスト・サムライ」と賛美され、乃木邸が空襲を免れたのもアメリカの乃木大将に対する敬意の表れだったと云われています。


乃木坂
葬儀ののち、遺言により乃木邸は東京市に寄付されます。


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今はトンネルになっていますが、乃木坂は交差する高台(現・乃木坂陸橋)から降りてくる急坂でした。

昭和三十年代の古写真ではまだトンネルはありません。

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それにしても、一番不幸だったのは静子夫人だったようです。
乃木は若い頃は呑んだくれ、ドイツから帰ったら、普段着も軍服、寝るときでさえも軍服の堅物に変貌。息子二人も出征し、戦地に向かう前「棺桶が三つ揃うまでは葬儀は出すな」と言われ、二人の息子を失い、石を投げられ、挙げ句の果てに共に自刃。

戦地で撮られた乃木希典の写真には、手に戦死した息子二人の写真があります。
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乃木神社周辺、乃木坂46の撮影場所
悲劇の将軍の名を冠した乃木坂ですが、いまや乃木坂といえば「乃木坂46」。
乃木神社本殿に向かって右に正松神社があります。吉田松陰とその師、乃木希典の師でもある玉木文之進を祀っています。

乃木神社入口の玉垣です。
乃木神社二の鳥居。
東京メトロ乃木坂駅1番出口。
乃木神社から旧乃木邸に行ける乃木公園の階段です。
乃木神社境内の赤坂王子稲荷。乃木夫妻がよくお参りに行っていたご縁で、昭和三十七年(1962年)王子から勧請しています。
乃木坂トンネル内から登るつづら折りのスロープ。
このスロープを登ると……。
東京メトロ乃木坂駅3番出口です。
全く悲劇性のない明るい光景が続く今日です。
乃木坂46が熟女になって再結成したユニット名は「幽霊坂46」かもしれません。

乃木坂 由来 乃木大将の殉死された大正元年九月以来幽霊坂が乃木坂と改名された
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