JR飯田橋駅神楽坂口から南へ行くと、千代田区富士見。ここは江戸城外堀の牛込御門内で、言うなれば、もう江戸城内。



JR飯田橋駅神楽坂口近くの日本歯科大学附属病院前には旗本屋敷の遺物があるほどに、町人地は非常に少なく武家屋敷が連なり、メインの通り(現・早稲田通り)は江戸城北の丸の田安門(現・日本武道館への入口)へと繋がっています。


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この小役人宅の密集地、牛込御門の近くには三つも幽霊坂が存在します。

なぜ、こんなに多くの幽霊坂があるのでしょうか?
古い二つの幽霊坂
このうち二つ(❶、❷)は江戸時代からのものです。
たとえ江戸時代といえども幽霊がいると信じる人は少なく、ふつう、幽霊坂は目立たないところにあるゴミ捨て場、ゴミ溜めのことです。
幽霊画を掛軸にして飾るのも魔除け、空き巣泥棒除けの意味があるように、坂道にも危険を除けるために「幽霊」という言葉を使っています。
子供を危険なところ、不潔なところ、または乞食同然の人々が住むようなところに近づけさせないようにと、そこを、おどろおどろしく幽霊坂と呼びます。
その幽霊坂の近くには町人地があってメインの通りからは見えないように坂下にゴミ溜めを設けて町人が利用しました。
ここは昌平橋近く、駿河台の幽霊坂と同様に、旗本御家人の小さい武家屋敷が乱立していて、自家の敷地内にゴミ穴(ゴミ捨て場)を持てない小役人が利用したようです。


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面白いことに明治初期の地図を見ると、幽霊坂❶が行き止まりになっていて、坂道というより低地のごみ溜め、ゴミ集積場の風体をなしています。

幽霊坂❷の坂下をみるとメインの通りまでまっすぐに続き丸見え。ゴミ坂の機能を果たしていません。

角川書店本社の脇を通るこの坂の坂下には、江戸時代、ごみ溜めはなく、この幽霊坂❷を一度登り、幽霊坂❶のゴミ溜めへゴミを捨てた坂道で、二つの坂道をセットで幽霊坂と呼んだようです。

幽霊坂❶の坂上から坂下方向を見ると、坂下は見えないほどに落ち込んでいて、ゴミ溜め隠しの幽霊坂としては理想的な地形と言えます。
三つ目の幽霊坂

なぜ、ここが幽霊坂と呼ばれているのでしょうか?
江戸時代、ここには坂道がなく、近世でも法政大学の敷地内でした。この坂道が法政大学の跡地内に開削され住宅地になるのは昭和30年代のことです。


ここはゴミ溜めではなく、私道のため、人々を入れないようにと幽霊坂と呼んだようです。現代版「立入禁止サイン」としての「幽霊坂」です。

ゴミ坂を考察した以下のページもご参照ください。
幽霊坂とはゴミ坂のこと⁈
もとはもっと多くのゴミ坂が存在したはずですが本名を隠しているケースもあり、ゴミ坂探しも面白いものがあります。
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