富士見坂は東京23区内で少なくとも16カ所、別名で富士見坂と呼ばれるケースも含めれば24カ所以上あるといわれています。多くの富士見坂はマンション建設の影響などで富士山が見えなくなってしまいましたが、ここ護国寺の富士見坂からはいまでも富士山が拝めます。
富士山が見える。
天気、空気にもよりますがマンションの隙間から富士山の右側の中腹が見えます。
いまとなっては富士山が見れる富士見坂は稀なケースになってしまいました。
都内のどこの富士見坂か判らないのでこの辺りのマンション名も「◯◯ナンチャラ護国寺富士見坂」ってなってます。

江戸切絵図にも富士見坂の表記があり、この坂を下ると今は暗渠の音羽川の橋があって、また下ると大きな伽藍の護国寺です。
筑波山護持院とあるのは神田から護国寺境内に移されたものです。
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大正時代の富士見坂
音羽川、橋の表記があります。橋がここにあるということは最下点ですので富士見坂は今よりもずっと急坂だったということです。
旧町名の東青柳町の文字が見えますが、青柳町、音羽町、桜木町はそれぞれ土地を拝領した奥女中の名前が由来といいます。桜木町は護国寺門前の入口に面し、大日坂の項に登場しています。
なぜ、こんなに奥女中が登場するのか妄想すると、土地を与えた桂昌院さま(綱吉公の生母)は、もと八百屋の娘で、大出世をしたスーパーレディです。音羽も青柳も桜木も庶民出身の女性だったのかもしれません。名家の出身なら土地は持っていたと思うんですが、如何に?
昭和初期の富士見坂
昭和になって都電が通り、音羽川は暗渠に、橋は廃止されています。
今の富士見坂は自動車通行、都電通行のため、昭和に入って、ゆるい勾配になったとわかります。

また、切絵図で気づくのは護国寺に門が二つ描かれていること。
これが今ある門なら、仁王門と惣門です。
説明板によると惣門は方丈へと続く門とのこと。なるほどぉ切絵図中のかなり広い敷地の「護国寺隠居」ってなんじゃ?と思ってたんですが僧侶の方丈(お住まい)だったんですねえ。
(おじいちゃんがいっぱいいるのかと思ってた (≧∇≦))


仁王門で素敵なのは彫刻です。阿行吽行の仁王様はもちろんなのですが、裏面に仏法を守る増長天、広目天がいらっしゃいます。


あまりよく見ない足元をみると劇画のような表情の鬼が耐えてます(*´∀`*)しかも指が二本しかない!


お宝満載の護国寺
本堂は元禄10年(1697年)建立の国の重要文化財です。月光殿は桃山時代の建築で滋賀の園城寺日光院客殿を移築したもの。
計8点もの重要文化財!、そればかりではありません。多宝塔、大仏(中仏くらいの大きさ)、鐘楼などなど、美術的価値のあるものが多々あります。




ため息が出るほどのお宝の数々ですが、
わたくし的には、マイナーなものに心を奪われてしまいます。
なんじゃ、これ?
水屋横の丸いやつ?
すわっ、五重塔の礎石じゃねっ?!礎石発見かっ!と一瞬、こころトキめいたが、塔の礎石にしては舎利器を入れる穴がなーい。江戸名所図会にも塔は描かれていませーん。でも水屋は描かれています。なんだろう?
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説明板によると今の水屋の手洗水盤は将軍綱吉公の生母桂昌院が寄進したものの復刻版であるとのこと。
その情報から、元の水盤はここに置かれていたと想像できます。
なんじゃ、これ?
境内に左江戸道の道しるべ?
水屋の手前に、古くて崩れ堕ちそうな標石があります。
正面に「左江戸道」、右側面に「右◯◯◯」、左側面に「庚申供養塔」?。


この標石のあるところから右を見ると、
富士塚があるではありませんかぁ!
普通に護国寺をお参りすると、なかなか気づかないんですが、ここには富士塚(一般的に音羽富士塚という)があるんですよ。
なので右側面に書いてあるのは「右富士道」でしょう。

左側面の「庚申供養塔」を調べると、庚申塔を道しるべとして建立することもよくあったとのこと。庚申信仰の証しと実用的な道路サインを兼ねたということです。
そりゃあそうですよ、庚申信仰のお約束では3年に一度は庚申塔を建立することになるので、何十年かすると庚申塔だらけになってしまいます。
実用的な道しるべを兼ねていれば、たくさんあっても交通インフラとして役立ちます。良い知恵ですね。


富士塚について
富士山は信仰の山で登るには、歩いて行かなければならないし、ダウンジャケットも無い時代だから、命がけです。しかも昔は女人禁制の山でした。なので誰でも簡単に登れるような小さな富士山ジオラマ(富士塚)を造り、登り、お参りをしました。
ひょっとすると、ここに登ると本物の富士山も見えたのかもしれません。妄想するとワクワクです。
庚申信仰と富士信仰(庚申講と富士講)は結びついていたと思われ、門前町の町人の活気が感じられます(庚申塔、庚申信仰については庚申坂の項をご参照ください)。
石好きにはたまらない!音羽講中庚申塔

護国寺薬師堂の裏にめずらしい庚申塔があります。音羽講中庚申塔といって門前町の音羽町の方の建立です。
庚申坂の項で勉強した庚申塔ですが、こんなタイプのものは見たことがありません。
高さ210cm!アンドレ・ザ・ジャイアントより低いですが、大きい(*’д’*)立派です!
天明五年(1785年)の銘があります。

三猿が塔を支えているなんて、地球を持ち上げているヘラクレス、ギリシャ神話的です。
「見ざる、聞かざる、言わざる」のはずですが、どうも辛いタスクに文句を言っているように見えます。
まだまだある庚申塔
庚申信仰を続けていくと、庚申塔だらけになってしまう、という私の予想は的中しています。
ここ護国寺にはたくさんの庚申塔が残っています。

境内の太子堂北面の崖に石仏とともに数々の庚申塔が祀られています。
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やはり庚申塔だらけです。
大きな門前町があり町人が多かったからですね。
探せばまだあるかもしれません。
石好きにはたまらない護国寺でした。
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