講安寺の隠居地である称仰院の庵を無縁寺と呼んだので無縁坂。また、武家地に囲まれているので「武士に縁がある坂」=武縁坂とも。
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その寂寥ただよう無縁坂という名のせいなのか、この坂は森鴎外の名作「雁」の舞台となり、また、さだまさしの名曲「無縁坂」にも歌われています。
森鴎外の小説「雁」の舞台

明治十三年(1880年)のころ、話し手の「僕」が語る東大医学部の同級生「岡田」と高利貸しのお妾さん「お玉」の叶わぬ恋の物語。
岡田は夕食後の散歩を日課にしています。東大医学部の鉄門近くにある(1)下宿から、無縁坂にあるお玉の家の前を下ります。

岡田の毎日の散歩コース

岡田の日々の散歩は大抵道筋が極まっていた。寂しい(2)無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む(3)不忍の池の北側を廻って(4)上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある(5)広小路、狭い賑やかな(6)仲町を通って(7)湯島天神の社内に這入って、陰気な(8)臭橘寺(からたちでら)の角を曲がって帰る。しかし仲町を右へ折れて、無縁坂から帰ることもある。
(2)無縁坂

(3)不忍の池


不忍の池の北側は今では上野動物園の一部になっているので、弁天様を通るコースをいきます。

(4)上野の山
上野東照宮の石段から上野のお山に登ります。

上野のお山の西郷さんは明治三十一年の除幕ですので、岡田はこの像を見ていません。
(5)広小路

上野のお山を降りて、料亭として有名だった松源、上野戦争で薩摩軍が四斤山砲を二階に担ぎ上げ、彰義隊に応戦した雁鍋という料理屋のある上野広小路にでます。
(6)仲町
明治の頃、浅草と同じくらいに賑やかだった仲町通りを抜けて、湯島天神男坂を登ります。
(7)湯島天神



(8)臭橘寺
陰気と言っている臭橘寺(からたち寺)は春日局の菩提寺「麟祥院」の別名。
からたち寺の角を曲がり下宿へと戻るのですが、この道筋は今もほとんど変わっておらずに、また、上野広小路界隈の名所をおさえた現代でも通用する歴史観光コースといえます。


岡田はこの散歩のコースを毎日一人で歩いています。
無縁坂の南側は岩崎弥太郎邸がつづきます。明治十三年当時は雑草生え放題の石垣と書いていますが、いつからか耐火煉瓦の塀になり、これもまた寂びた味を出しています。


岡田とお玉
無縁坂北側の中腹には、若くて美しいお玉という女性が居住しています。彼女は貧しい父親に楽をさせてやろうと、高利貸しの妾となり、そこに住んでいます。ですが、毎日、家の前を通る医学生の岡田に、ほのかな恋心を抱くようになります。
ある日、お玉の飼っている小鳥が蛇に襲われ、偶然通りかかった岡田が蛇を退治してやります。
お玉は彼に近付けたことを喜びますが、声を掛けられない自分にイラつきながらも岡田への想いをいっそう募らせてゆきます。岡田もお玉のことが気になっています。
そんな折り、旦那である高利貸しが泊まりの仕事で出掛けて行きます。高利貸しが留守の間に、お玉はこの日こそ、岡田に想いをを告げようと、彼が無縁坂を通るのを待ちます。
サバの味噌煮
ところが、ちょうどその日の下宿の賄いがサバの味噌煮。
語り手の「僕」がいちばん嫌いなものです。「僕」は嫌気がさし、いつもは一人で散歩をしている岡田とともに下宿を出ます。
無縁坂にはいつもよりまぶしく見えるお玉がうっとりとしたように立っています。岡田は慌てたように帽子をとり礼をします。
お玉は岡田が一人でなかったので声をかけられません。
雁
不忍池まで降りると偶然にも、もうひとりの友人と会います。

その友人が雁に向かって石を投げると言うので、岡田は雁を逃がそうと脅かすつもりで石を投げますが、その石が誤って当たり雁は死んでしまいます。
「不しあわせな雁もあるものだ」と岡田はつぶやきますが「僕」には、お玉のことが頭に浮かびます。
三人は獲物を持ち帰って鍋にしようと無縁坂を登ります。

妾宅から三軒ばかり坂を下り、待ち受けていたお玉の眼の底には悔しさが映っています。
行きは二人連れ、帰りは三人連れ、お玉はとうとう岡田に告白する機会を失ってしまいます。
翌日、岡田は留学が決まっていたドイツへと旅立っていきます。
運がいいのか、悪いのか?
この恋が実ったとしても医学生である岡田にお玉とその父を養えるのか?また、未来ある学業を捨てるというのか?
ほんのささいな偶然(サバの味噌煮、雁のことなど)で人生は大きく変わるが、それが幸運なのか不運なのか、良縁だったのか、無縁だった方が良かったのか?捉え方によってはどちらとも云えると、鴎外は教えてくれています。
さだまさしの名曲「無縁坂」
森鴎外に傾倒するさだまさしは何度もこの無縁坂を行き来したそうですが、実はお母さんと一緒には歩いていません。
そう、彼は長崎生まれ。幼少の頃、ヴァイオリン教室に通うとき、お母さんと連れ立って長崎の坂を歩きますが、人一倍の恥ずかしがり屋だったようで、手をつなぐこともなかったそうな。
彼は、中学1年生のとき、ヴァイオリン修行のため単身上京し、東京にいる間にこの坂を登ります。
「しのぶ しのばず 無縁坂」とサビのところで不忍の池を織りこみ、また「運がいいとか 悪いとか」と鴎外の「雁」を想起させてくれています。「雁」とお母さんの思い出を重ねた名曲、それが「無縁坂」です。
名作も名曲も生まれた風情を持つ無縁坂は、まさに名坂です。
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