まるで明治のファッションブックから飛び出してきたかのような、華やかな趣きを持つ作品。鏑木清方、初期の美人画の代表作「嫁ぐ人」。

桜咲く園を背景に、花鳥画をふまえてカゴの鳥。それだけでなく、着物の柄にも鳥と蝶をあしらっています。
また、アクセサリーも豊かで明治の風俗が見えてきます。
孔雀の羽根にハート、髪飾りにもハートがあり、オシャレです。
白鸚鵡を深読み
カゴの鳥は白鸚鵡。古来より舶来の貴重な鳥で、江戸では将軍や有力大名のペットとして珍重されます。
そのことから、この場面は上流階級、結婚を祝う令嬢たちの園遊会の設定だということがわかります。
また「鸚鵡」を、ひらがな表記すると「おうむ」と「あふむ」の二つがあり、歴史的には「あふむ」が主流。あふむ=逢夢に通じ、只ならぬロマンスを感じてしまいます。
この頃(明治四十年・1907年)の清方は度々「白鸚鵡」を題材に使っています。

愛の詩を鸚鵡に教えているのか?可愛らしく愛おしい想像が浮かびます。
雪月花
白鸚鵡はその白さから「雪月花」の「雪」に代用にされることがあります。そうであるならば、この絵の中で雪と花は一目瞭然ですが、月はどこに?……。
嫁いで行く人の道行コートの前見頃に花で形作った「月」のくずし文字がうっすらと隠されています。単なる花鳥画・美人画・風俗画に終わらせない清方はイキです。
小石川植物園
この絵の背景は小石川植物園だと云われています。明治四十年頃、清方は日本橋区浜町二丁目旧細川邸内二號(現・浜町公園)に住んでおり、小石川区は少しばかり遠くに感じますが……?
その疑問の答えは「嫁ぐ人」について書いた清方自著の中にあります。
「挿絵画家時代を送った木挽町から、浜町河岸に引き移った明治四十年、東京博覧会への出品で、この時代に新派の俳優たちとの交友が深く、東京座、本郷座の看板もたびたび画いてゐる。「金色夜叉」「不如帰」「深沙大王」「高野聖」「生さぬ仲」などがあるが、思いなしかこの作には、さうした匂ひがどことなく漂ふかに見えるのが、 私にとってはむしろほほ笑ましくさへある。背景には小石川の植物園を用いた」
鏑木清方「自作自解」より
神田区三崎町の東京座、本郷区春木町の本郷座に通い、絵看板を能くしたようで、これらの作品も残っています。




これら二つの劇場からなら、小石川植物園は近所。そうして、艶やかで流行好きの新派の女優さんたちにモデルを頼み込んで描いたのでしょう。
気になる木
様々な工夫を凝らしていて、見ていて飽きないこの絵ですが、とても気になるが背景の広葉樹。桜で良さそうに思うのですが、なぜ、この樹を使ったのでしょうか?。
小石川植物園内で探すと……。
ありました。この樹は「ヤマモモ」。ヤマモモの花言葉は、嫁ぐ人にピッタリな「一途にただひとりを愛する」。
しかも、ヤマモモには雌雄があるようで、雌木が雄木に嫁ぐということでしょうか?
この絵について多くを語っていない清方。花言葉を意識していたかは不明です。今では老木となっているヤマモモの樹ですが、百年以上前、この樹の周辺に清方がいたのかと想像すると、ロマンが拡がる小石川植物園です。