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「春の小川」は流れていた

日本人なら誰でも知っている歌といえば、国歌「君が代」はもちろんのこと「さくら さくら」「ふるさと」そして「春の小川」。

スイレン科コウホネ
スイレン科コウホネ。

明治四十五年(1912年)に発表された文部省唱歌「春の小川」は渋谷川上流の支流、代々木から渋谷へと流れる河骨川(コウホネ川)がモデルとされています。コウホネとはスイレン科の水生植物。コウホネが群生していたのでその名がつきます。

古写真:明治三十年代の河骨川周辺
古写真:明治三十年代の河骨川周辺。
高野辰之
高野辰之

作詞家・高野辰之(明治九年1876年ー昭和二十二年1947年)は代々木に住み、近所の河骨川の情景を詩にしています。
高野邸は今も代々木にあり、近くには、田山花袋、岸田劉生、菱田春草らそうそうたる面々が住み、以前は東京の郊外、山谷や雑木林が拡がる代々木の地はさながら芸術村。

ちなみに「うさぎお〜いし♪」の「ふるさと」も高野辰之作詞・岡野貞一作曲コンビによるもの。私も、うさぎってそんなに美味しいのかと思っていたうちのひとりです。

高野辰之住居跡

高野辰之住居跡
高野辰之住居跡。
田山花袋終焉の地
田山花袋終えんの地。
岸田劉生が住んだ辺り
岸田劉生が住んだ辺り(旧住所代々木山谷129)。

菱田春草「枯葉」

菱田春草(明治七年1874年ー明治四十四年1911年)の「枯葉」。

叙情豊かなこの絵の写生地は近所の代々木の雑木林と云われており、今の明治神宮周辺です。

古写真:代々木の雑木林
古写真:代々木の雑木林。
菱田春草終えんの地
菱田春草終えんの地。
菱田春草
菱田春草

菱田春草は明治四十一年(1908年)から代々木山谷に住んでいます。菱田春草終えんの地の碑を撮影していると近くのマンションから老紳士が杖をついて現れ、

芸術散歩ですか?
はい、文芸美術散歩というか、歴史が好きなもので……
ほう、そうですか。私はずっとここに住んでいる代々木の枯れた歴史ですかね」とニコリと微笑み、
私のおじいちゃんが言っていましたよ。菱田春草の家はね、そこじゃなくてね、今は小田急線の下のところ、そこの踏切のところです
えっ(*’д’*)

小田急線踏切

小田急線

なるほど、ここでは碑が建てそうもありません。自分を歴史と揶揄する、おそらく九十は越えている老紳士、さすがに地元の方はお詳しい。

春の小川はどこ?

春の小川案内電柱歴史のご老人がいなくとも、古地図が無くとも、春の小川を探すのは簡単です。電柱に「春の小川 この通り→」という案内が書いてあり、春の小川の暗渠というわけです。ここがかつての河骨川の流れ。河骨川は山内公爵邸の庭の池が水源の一つと云われています。

春の小川暗渠

古地図:大正5-10年(1917-21年)陸地測量部2万5千分の1地形図より山内邸の池と河骨川。
古地図:大正5-10年(1917-21年)陸地測量部2万5千分の1地形図より山内邸の池河骨川

池の湧水のほか、この辺りで一番の低地に雨水を集めて川を発していました。ということは……。
岸田劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」の坂道のスジは工事の跡かと解釈していましたが、雨水の流れた跡だと今更ながらに納得します。

岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」(大正四年1915年・重要文化財)
岸田劉生画「道路と土手と塀(切通之写生)」(大正四年1915年・重要文化財)。

重要文化財になった坂道を参照

 

春の小川暗渠

春の小川のイメージとは程遠く、作詞した高野辰之も驚くでしょうが、かつては台地が点在し多くの川が流れ、水の都と謳われた東京も1964年の東京オリンピックを境に大きな川の上には首都高が流れ、小さな川はフタをされ暗渠となって車道や歩道となり風情は皆無。しかしながら、これが都会というもの。

生活の利便さを享受しているのだから、春の小川は私たちの代わりにフタをされ、暗い道をゆくのだから文句は言うまい。そう思いつ、暗渠道を行くと、またしても小田急線に出くわします。

暗渠と小田急線交差

鉄ちゃんが新しい小田急ロマンスカーを待ち構えています。

古地図:昭和3-11年(1928-36年)1万分の1地形図より小田急線をくぐる河骨川。
古地図:昭和3-11年(1928-36年)1万分の1地形図より小田急線をくぐる河骨川

昭和の初めの地図によると河骨川はこの線路の下をくぐり向こう側へとつづいています。近くに踏切があるので線路の向こう側の駐輪場に回り込むと、

流れる春の小川

なんと、河骨川はほんの少しだけ顔を出し雨水を集めて流れています。線路の写っている河骨川の古写真で見たこの辺りに違いありません。

古写真:河骨川と線路
上の方に線路が写っています。

春の小川に少しだけ会えたことに安堵。
暗渠はしばらくの間、駐車場、ビルの下をくぐっていますが、線路脇へと出る小道があります。

矢印の小道が暗渠道。
矢印の小道が暗渠道。

しばらく線路脇をゆくと春の小川の歌碑があります。

春の小川の碑

春の小川プレイパーク近くには春の小川の名を冠した「春の小川プレイパーク」、電車からの目線に合わせているのでしょうか、やたらと背の高い「春の小川を守る会」の看板と、アピール度満点ですが、いかんせん、鉄路脇の暗渠、絵にならない事しきり。

春の小川を守る会看板

春の小川暗渠

河骨川暗渠

いくつかの踏切を越え、街中をぬけ、やがて河骨川暗渠は初台から流れてくる宇田川に合流します。

宇田川と河骨川合流部。
宇田川と河骨川合流部。

宇田川遊歩道

宇田川暗渠は遊歩道として整備され、渋谷とは思えないくらいの静かな雰囲気。

しばらく行くと「ハチ公ソース」の看板が……。

ハチ公の第二のご主人様小林菊三郎のご子孫の証言によると、ハチが富ヶ谷の小林家から、渋谷駅へ通うのに宇田川沿いは歩かなかったとのことですが。

【忠犬ハチ公秘話】
待っていたのは駒場⁈像は二代目⁈を参照

渋谷駅に近づいても、まだ、電柱の春の小川看板がアピールしてきます。

宇田川暗渠

ここを歩いていると、古地図の宇田川から徐々に離れて行くようで、位置を調整すると……。

渋谷センター街

センター街

なんとそこは、ドンキの裏、センター街の通り。その昔、宇田川はセンター街を、いや、言いかえれば宇田川にフタをしてセンター街の通りになっています。今では水ではなく、ひっきりなしに人が流れています。

宇田川だったセンター街
宇田川だったセンター街。

宇田川は現在、宮下公園の下で原宿から流れてくる暗渠の隠田川と合流し、渋谷川になっています。

渋谷川。
渋谷川。

ビルに囲まれ、コンクリート護岸に囲まれ、渋谷川はやがて、天現寺橋で暗渠の笄川(こうがい川)と合流し、古川となり、麻布十番で、大きく東に折れ港区芝を抜け東京湾へと注いでいます。

渋谷川合流部
笄川、渋谷川合流部。

渋谷区では春の小川清流復活とはいかないまでも、渋谷の街を再開発しています。

渋谷川

渋谷川再開発

「春の小川」グーグルマップはこちら
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