「几号水準点」タグアーカイブ

新宿区大京町の几号水準点


新宿区大京町の几号水準点

外苑西通り大京町交差点の次の信号を入ったところの路傍に(グーグルマップ参照)ポツリと明治の産業遺産があるのですが。

公的資料である「地理局雑報」に記されている「青山六道辻甲賀町一番地新設石柱(新宿区霞丘町六道の辻)」もしくは「四ッ谷元大木戸玉川上水堰際新設石柱」からの移設かといわれています。標石は高さ20センチほどで道路上に突出しています。

几号水準点とは

嘉永七年1854年尾張屋刊江戸切絵図より
嘉永七年1854年尾張屋刊江戸切絵図より中央が几号水準点の位置、が四ツ谷大木戸。が六道の辻。

幕末期の地図でみると、四ッ谷大木戸、六道の辻ともずいぶん離れていますねぇ。どっちからの移設なんでしょう?
専門家が言うには四ッ谷大木戸は、大木戸と几号水準点ごと撤去消失と考えられ、六道の辻からではないかと。

余談ですが、新撰組の沖田総司は幕府の蘭方医、松本良順に匿われ、慶応4年(1868年)「千駄ヶ谷丁」の植木屋さんの家で亡くなってるんですよ。ビッグネームが登場するところですが、電車開通や神宮造営で変貌、面影が全くありません。
おぬし、それが書きたくて切絵図を使ったな、とミエミエですが。。。

あっ、明治の話でしたね。

六道の辻を明治の地図でみると、、、

中央が六道の辻。明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図と今の比較
明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図(中央が六道の辻)と現在の比較(クリックで拡大)

えっ(*’д’*)、六道近くに標高の書かれた測量点が三つもある!
しかも六道の辻って今の神宮絵画館前庭のグランドになっていて全く変わっています。捜索不可能ですm(_ _)m。
しかしながら六道の辻って道が入り組んでいるところだったんですねぇ。時代劇にでてくる「辻斬り」ってこういうところで起こりそうです。
いまでは跡形もなく整地され、ごっそりグランドです。
ここたぶん、人工衛星の赤外線写真でみると道筋が顕れるのでは?(≧∀≦)、ちょっと見てみたい。

高さ20センチがどうも気になる、、、

新宿区大京町の几号水準点大京町の几号水準点

水平設置に間違いないのですが、
この高さ20センチってどうも気になる( ̄^ ̄ ;)。
そーです。市ヶ谷新見付の几号水準点の明治初期(19.10メートルの表記)と後期(18.9メートルの表記)では測量結果が20センチ低くなっていました。

市ヶ谷新見付の几号水準点
市ヶ谷新見付の几号水準点 左:明治初期 右:明治後期(クリックで拡大)

市ヶ谷新見付の几号水準点は、当初はこのように道路に凸っていたのを、新見付が出来て、交通の邪魔だといって道路に埋めたものだったのかぁ。

だとすると市ヶ谷新見付の几号水準点と似ている小日向の几号水準点も水平設置で凸っていたのを埋めたのかも。
小日向の標石の×印の傷は埋めるときに付いたと考えられます。
素人ながら、だんだん謎が解けて来たような気がします。

【追記】
几号に詳しい方からお知らせがあり、これは水準点ではなく、千駄ヶ谷の三角点の付属予備点というものらしいです。お知らせいただきありがとうございましたm(_ _)m。
いずれにせよ、われわれ素人には珍しい「不」の字が描かれた貴重な石であるのは確かです。


ニコライ堂の几号水準点


ニコライ堂

正式名の日本ハリストス正教会東京復活大聖堂と言ってもわからないので通称ニコライ堂でとおっています。周りのビルより低いのですが存在感が抜きん出ています。

几号水準点はニコライ堂ではなく、裏にある付属施設の主教館に刻まれています。

几号水準点とは

几号水準点の位置

主教館の出入口主教館の側面、メチャ目立たないところに、そして、モルタル・ペンキを塗られて、とても見づらくなっています。
ググると3種類の写真があるので、ネットが普及してから、少なくとも二回はペンキを塗り直してます。
しかも、後述の絵葉書をみると、出入口が二つ(*’д’*)で、この真ん中のエントランスと階段は後付け。几号水準点は危うく、階段で隠れるところだったのです。

主教館の几号水準点

なんだか、他の几号(不の字)よりも小ぶりな気がしますが、明治初期から何回もペンキを塗られたので、すこし小さく見えるのでしょうか。

有名なニコライ堂ですが
説明板をみると、、、

東京復活大聖堂説明板

昭和三十七年六月二十一日文部省指定
重要文化財
東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)
この聖堂は明治17年3月に起工し、工期7年を以って同24年に完成したもので、設計者はロシア工科大学教授シチュールポフ博士、工事監督は英国人コンドル博士です。
 頂上までの高さ 35米
 建坪 318坪
 壁厚 1メートル乃 至1,63メートル
 日本最大のビザンチン式建築物として知られています。
 日本ハリスト正教会教団

明治24年完成ってぇ(?_?)
几号水準点が盛んに設置された明治7〜12、3年の頃と時期がズレていますが(?_?)。

竣工当時の古い絵葉書をみると

竣工当時の日本ハリストス正教会
竣工当時の日本ハリストス正教会の絵葉書

主教館主教館(赤矢印)が二階建て。
今の建物は平屋なのですがぁ?
出入口もそうだったのですが、かなり改修の跡がありそうです。

明治初期と明治末期の地図で確認してみましょう。

ニコライ堂古地図
左:明治9-17年(1876-84年)5千分の1右:東京図測量原図より明治41-42年1万分の1測図 赤矢印がニコライ堂。

なるほどぉ、明治9年の地図に、ニコライ堂はまだありませんが、主教館(青矢印)はすでに描かれていました。

地図だと二階建てか平屋かはわかりませんが、主教館は明治7年ごろ(明治7年と云っている資料と明治8年と云っている資料有り)の竣工。ニコライ堂よりも古い歴史があったのです。

聖ニコライの年譜に、

明治7年5月、東京に正教の伝教者を集めて、布教会議を開催した。そこで、全20条の詳細な『伝道規則』が制定された。

とあります。初めはココでご教授されていたと思われます。

二階建ての謎

こちらも記録があり、簡単に謎が解けました(^_^)。

最初、2階建でしたが、2階部分は関東大震災で崩壊、岡田信一郎によって改修され1階建ての平屋に変更されました。東京最古のレンガ造ということになります。

主教館なるほどぉ、関東大震災で倒壊後、残った一階部分をそのまま利用したので几号水準点が残ったのかぁ。東京最古のレンガ造だったとは知らなかった!
凄っ(*゚o゚)!
ニコライ堂があまりにも素敵な建築で、ニコライ堂にばかりに目が行きがちですが、こちらも災害を乗り越え、改修を重ねて、現在がある隠れた名所だったのですね。