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柘榴坂(ざくろ坂)の仇討

桜田門外の変の十三年後、明治六年(1873年)二月七日、明治政府太政官布告で「復讐ヲ嚴禁ス(仇討禁止令)」が発布され、仇討は禁止されます。

映画「柘榴坂の仇討」は、桜田門外の変と仇討禁止令という史実をもとにしたフィクションですが、東海道から高輪台へと登る長いながい「柘榴坂」は実際に存在しています。

柘榴坂
柘榴坂

この映画の原作は浅田次郎の短編時代小説。十三年もの長い間、桜田門外の変の襲撃犯を追い続ける元彦根藩御駕籠廻り近習役、井伊大老の駕籠を護衛していた「志村金吾」と最後まで生き残った水戸側の犯人「佐橋十兵衛」の不器用な男たちの物語。

桜田騒動

綿のような雪の朝、いつものように桜田門から登城するはずの井伊大老の駕籠列が三宅坂を下っていきます。

井伊大老駕籠行列

直訴状をかざしてその列を止める佐橋は、直訴状を受け取った志村を斬りつけ、井伊家家宝とも云える長槍を奪い路地へと逃げ込みます。佐橋を追いかけてきた志村と斬り合いになりますが、一発の銃声がとどろき、自分の使命に気づいた志村が急いで駕籠に戻ると、井伊大老はすでに首級をあげられ、その場にヘタリ込み茫然とします。

その後、志村は彦根藩の家老から、その場を立ち去った下手人五人のうちの一人でもよいから首を挙げて参れと命を下されます。

史実では直訴状をもって駕籠列を止めたのは森五六郎、最後まで生き残ったのは海後磋磯之介。彦根藩側も赤穂義士にならって仇討ちを主張するものもいましたが、怒りを押し留め、復讐劇はありませんでした。

絵巻、古地図で見る桜田門外の変を参照

東京で一番美しい坂 三宅坂を参照

史実をもとに構成した良く出来た物語ですが、これは?と思うところもあり、それぞれを検証してみましょう。

原作では襲撃犯数名が自訴(自首)した藩邸を現場近くの細川熊本藩邸に四名と2キロ離れた汐留の脇坂淡路守邸に四名と言っていますが、桜田門外の変の起きた安政七年の切絵図を見ると脇坂邸、細川邸ともに大名小路(今の丸の内)にあります。
幕末の屋敷換えも多く、一年違うだけで切絵図も大きく変わることがあります。

安政七年(1860年)大名小路神田橋内内櫻田之圖より、桜田御門、脇坂邸、細川邸。
安政七年(1860年)大名小路神田橋内内櫻田之圖より桜田御門脇坂邸細川邸(クリックで拡大)。

6キロ以上離れた高輪の柘榴坂まで逃げていった佐橋のための伏線でしょうか?地理的にはとても厳しい設定です。

映画のおかしな箇所

たとえば、桜田門の前で事件を回想するこのシーン。

桜田門

法務省赤れんが煉

中井貴一扮する志村金吾の背後に煉瓦建築が写っています。
明治初期の雰囲気が出ていますが、実はこれ、明治二十八年竣工の司法省本館(現・桜田門前の法務省赤れんが煉)。

法務省赤れんが棟
法務省赤れんが棟

明治六年の物語ですから、この煉瓦建築はまだ無く、当時そこから日比谷公園にかけては陸軍練兵場でした。

古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より陸軍練兵場
古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より陸軍練兵場。
古地図:明治39-42年(1906-09年)2万分の1正式図測図より司法省
古地図:明治39-42年(1906-09年)2万分の1正式図測図より司法省。

井伊家菩提寺「豪徳寺」

志村は毎月、井伊掃部頭の月命日に豪徳寺門前を訪れ、黙祷を捧げています。
ロケ地は滋賀大津の三井寺。雰囲気がよく出ています。

三井寺
三井寺。
豪徳寺門前
世田谷豪徳寺門前。
豪徳寺参道
豪徳寺参道。

仇敵の佐橋も後悔の念をいだきつ、毎月、豪徳寺を訪れ、門前で手を合わせています。

三井寺
三井寺

玄武館

これは資料が全くなく似ているのか似ていないのからかりませんが……。水戸藩士が多いと云われた神田お玉ヶ池の千葉周作道場「玄武館」を訪ね、追い返されることも。

玄武館

神田お玉が池の玄武館跡
神田お玉が池の玄武館跡。
玄武館の碑
玄武館の碑。

既に逮捕され斬首されたものもあり、遠く水戸を訪れても下手人は亡くなっていたりと、とうとう逃走した五人の内、残るは佐橋十兵衛ひとりとなってしまっています。
どうしても亡き殿の墓前に仇討を報告しなければと志村は焦ります。

司法省

下手人の情報をもとめて、志村は司法省を訪れます。

映画の司法省

明治六年当時の司法省は大名小路(現・東京駅丸の内口)の三河岡崎藩本田美濃守上屋敷をそのまま利用しています。

古写真:司法省
古写真:司法省。
古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より司法省。
古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より和風な司法省

映画の司法省は洋風建築で、ロケ地は京都の龍谷大学大宮学舎。

龍谷大学大宮学舎
龍谷大学大宮学舎。

司法省で一度は門前払いをくらいますが、友人の口利きもあり、後日、司法省OBから佐橋の情報を得ます。が、同時に仇討禁止令が発布されたことも知らされ、仇討の無意味さを説かれます。

新橋停車場

佐橋十兵衛は「直吉」と名乗り、人力車夫をして細々と生きています。

新橋ー横浜間の鉄道開通は明治五年(1872年)。新橋停車場は復元されていますが、映画ではこれも龍谷大学大宮学舎をうまく利用しています。

新橋停車場

復元された汐留の旧新橋停車場。
復元された汐留の旧新橋停車場。
古写真:開業当時の新橋停車場。
古写真:開業当時の新橋停車場。

佐橋は新橋停車場前で客待ちをしながら、車夫仲間から文字が読めるのかと驚かれつつも新聞を読み、その日に仇討禁止令が出たことを知ります。

仇討への執念

あの日と同じように雪が降るその夜、番傘を差した前時代的なサムライ風体の志村が、新橋停車場に現れます。

番傘の志村

「へえ、どちらまで」
「別段、行く宛はない」
「てえことは雪見でござんすね。二本差しのおサムライさんにしちゃあ全くいなせなことです」
「雪景色と言えば、やはり……桜田御門であろうな……」
「あいにく、この雪では桜田濠の坂は登れません。勘弁しておくんなせえ」
「さようか。実はそれがしも桜田御門の雪景色など、もう二度とは見とうない」

何かに気づいたように、ついにこの日が来たのかと思うように、佐橋は地面に片膝をつき、うつむいています。しばしの沈黙が流れて、二人の間には、あの桜田門外のことが蘇ります。

新橋停車場前

「傘を上げてもらえるか」と志村。
編傘をかぶり深々と下げていた頭を上げ顔を見せる佐橋。
目が合う二人には緊張が走ります。

やがて、佐橋の人力車に乗り込む志村。東海道を走る中、二人は十三年間、同じような苦労をしてきたと知ります。
なぜ、直吉と名乗っているのかと問うと、井伊弼の一字をもらったとの答えが返ってきます。

東海道の元薩摩藩下屋敷前を右に折れ、柘榴坂を登ります。

柘榴坂

柘榴坂の仇討

「この坂は?」
「柘榴坂でござんす。これを行くと久留米の有馬様のお屋敷、その先は豊前中津藩の奥平様で……」
「ほう、詳しいのぉ」
「……このあたりは、死に後れてしまった場所なもんで……」

寒椿佐橋はあの日、桜田門からどこをどうやって歩いてきたか自分でもわからず、この柘榴坂で自刃しようとしますが、その時、雪の中に赤い寒椿が咲くのを見つけ訳もなく、思い留まります。
佐橋は最期の地にここを選んだのです。

古地図:嘉永三年(1850年)高輪辺絵図より
古地図:嘉永三年(1850年)高輪辺絵図より

雪を一歩一歩踏みしめゆっくりと坂を登ってゆきます。

「もうよい、止めてもらおう」

柘榴坂
柘榴坂

今ではこのようにまっすぐに登っている柘榴坂ですが、江戸・明治の頃は坂途中でクランクしていて、映画の描写が正解です。

古地図:明治13-19年(1880-86年)2万分の1迅速測図原図よりクランクした柘榴坂。
古地図:明治13-19年(1880-86年)2万分の1迅速測図原図よりクランクした柘榴坂。

柘榴坂中腹にて

このクランク部分の垣根の前で、佐橋は観念して正座をし、町人言葉だった口調を一変、武士言葉で、

「そこもとのご執着、頭が下がり申す。存分に本懐を遂げられよ」
「立合わぬのか」と志村。
「刀はとうに捨て申した」
志村は自分の刀を差し出し、
「これをお使いなされ。拙者は脇差しでよい」
「それではあの日と同じでござろう」

そう、桜田門外でも彦根藩士たちは降る雪を防ぐ柄袋を刀につけていたため、とっさに刀を抜けず、志村は脇差し一本で佐橋の大刀・槍と戦ったのでした。

「よう覚えておいでじゃ」

火花を散らす決闘が始まります。中井貴一と阿部寛の迫真の演技に見入ってしまいます。

最後は志村の刀で自刃しようとする佐橋を制止し、時代は変わったが武士のこころを持ったまま生きてくれと諭します。

ラストシーン

映画のラストでは、佐橋はかねてより可愛がっていた同じ長屋の子供のその若い母親に、今度、湯島天神の縁日に三人で行こうと約束しています。
十三年間降り続いた雪が融けるように。

「湯島の白梅」が有名な湯島天神。
「湯島の白梅」が有名な湯島天神。

志村は十三年間支えてきてくれた女房を勤め先の酒場まで迎えに行き、明日、掃部頭様の墓参りに一緒に行こうと言い、手をとって星空を眺めながら家路につきます。

豪徳寺井伊直弼墓
豪徳寺井伊直弼墓。

彦根橘原作では、佐橋の紹介で古い人力車を用意してもらい、車夫となり、十三年間の妻の苦労に報いたいと。そして、その人力車は彦根藩の赤揃えになぞらえ赤く塗り、彦根橘の家紋を入れたいと言っています。
どちらも気持ちの晴れるラストです。

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