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千代田区江戸城天守台の几号水準点


几号水準点界のジャイアンー江戸城天守台

江戸城天守台は皇居東御苑内で九段坂方面の北桔橋門(きたはねばしもん)から入ると近いです。
皇居東御苑の出入口は大手門、平川門、北桔橋門ですが、開園時間等は宮内庁HPでチェックして行くのがオススメです。季節、行事によって異なりますので注意が必要です。

江戸城天守台の石垣にも几号水準点が刻まれています。
北東隅の最下段にこじんまりとあります。

北桔橋門
北桔橋門
江戸城天守台
北東隅の石垣最下段に几号水準点があります。

江戸城天守台の几号水準点

これだけ大きな石造物なら、撤去される心配はありません。この几号水準点は末長く残るでしょう。

几号水準点とは

ランニング禁止の皇居東御苑

城内では走るなとおまわりさんに怒られてしまったm(_ _)m。
「殿中でござる〜」ってことですね。皇居東御苑内ではランニング禁止です!当然ですか (≧∇≦)。

江戸城天守台案内板
江戸城天守台案内板

天守台中段に説明板があり、松の廊下の位置、大奥の位置など上から把握できます。長年、大奥の場所が知りたかったんですが今は芝生の広場になっています。
へえ〜、ココだったのかと興味シンシン。
中奥なんて聞いたことありませんでしたが、表、中奥、大奥とあって、中奥って将軍が政務を執るスペースだったんですね。

大奥跡
大奥跡。
明暦新添江戸の図(1657年)
明暦新添江戸の図(1657年)

明暦の大火前の天守、江戸城内が描かれた唯一の切絵図と思われます。
芸術でもあります。

明治の地図でみると

明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より天守台
明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より天守台

この几号水準点を使った測量点と20,39メートルの記載があります。天守台に測候所とあり、当時は気象観測をしていたとわかります。
北桔橋門を見ると江戸城の他の門のように枡形門になっていません。明治初期から枡形は廃止されています。
なぜでしょう?古写真をみるとわかります。

北桔橋門枡形の様子
北桔橋門枡形の様子

北桔橋門の内側を撮った古写真ですが、維新後の荒廃した江戸城として、度々、取り上げられる写真です。辺りは雑草が茂り、屋根に草生えてるしwww、壁も崩れかかってます。なのでここは早くに取り壊されたのでしょう。
それにしてもわざとらしいモデルの武士たちです。

古写真:天守台
古写真:天守台

天守台もそうとう荒廃しています。手前の小屋は番所のようです。

江戸城天守台の几号水準点(A)
拡大すると正確な位置がわかり、クリックするとリンクがありますのでそちらのページに詳しい情報があります。


千代田区竹橋の几号水準点


見つけづらかった竹橋の几号

竹橋の几号水準点

ここは一度、訪れたのですが、発見できず、2回目の探索でようやく見つけました。竹橋西詰(バックに毎日新聞本社が見えるところです )の小さな公園の石垣下部にありました。写真でいうとベンチの右後ろの石垣、緑のポールの後ろ。。。

なんですが、ほぼ埋没しておりました。
夏は草に埋もれて見えないかもです。こんなものを探して発見したときはニヤリとしてします。( ̄ー+ ̄)
几号水準点探索の醍醐味です。

几号水準点とは

竹橋の几号水準点

竹橋御門 説明板

竹橋御門
竹橋御門は、旧江戸城内曲輪15門の一つで天正18年、徳川家康江戸入国の頃、「竹を編みて渡されしよりの名なり」と、その由来が伝えられているが、他にも諸説あり、竹橋の架設時期と併せ、いずれも定かではない。
御門を通る道は、桜田門外の変により一時閉鎖されるが、明治3年再開通し、今の通称代官町通りへと変遷する。沿道の様子は、時々の社会情勢を色濃く映し、戦後は、都心の交通・文化・観光のアクセスとして発展し、この地を巡る皇居周回ジョギングは、全国的な健康増進気運を高め、親しまれている。
現在のアーチ型竹橋は、大正15年、帝都復興事業で架設され、平成5年3月、周辺景観との調和や補強を目的に改修を受け、白・黒・桜のみかげ石の橋に、装いを新たにした。

明治の地図でみてみると

明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より竹橋
明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より竹橋

竹橋のところに7.09メートルとあり、この几号水準点が測量に使われたことがわかります。しかしながらお堀の下の江戸城の石垣が見事にギザギザの形です。

竹橋の几号水準点(B)
拡大すると正確な位置がわかります。