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ニコライ堂の几号水準点


ニコライ堂

正式名の日本ハリストス正教会東京復活大聖堂と言ってもわからないので通称ニコライ堂でとおっています。周りのビルより低いのですが存在感が抜きん出ています。

几号水準点はニコライ堂ではなく、裏にある付属施設の主教館に刻まれています。

几号水準点って何?を参照

几号水準点の位置

主教館の出入口主教館の側面、目立たないところに、そして、モルタル・ペンキを塗られて、とても見づらくなっています。

ググると3種類の写真があるので、ネットが普及してから、少なくとも二回はペンキを塗り直してます。

しかも、後述の絵葉書をみると、出入口が二つで、この真ん中のエントランスと階段は後付け。几号水準点は危うく、階段で隠れるところだったのです。

主教館の几号水準点

他の几号(不の字)よりも小ぶりな気がします。

公的資料:地理局雑報にある記載
駿ヶ臺東紅梅町祭司ニコライ氏邸礎 19.9784m

有名なニコライ堂ですが
説明板をみると、、、

東京復活大聖堂説明板

昭和三十七年六月二十一日文部省指定
重要文化財
東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)
この聖堂は明治17年3月に起工し、工期7年を以って同24年に完成したもので、設計者はロシア工科大学教授シチュールポフ博士、工事監督は英国人コンドル博士です。
 頂上までの高さ 35米
 建坪 318坪
 壁厚 1メートル乃 至1,63メートル
 日本最大のビザンチン式建築物として知られています。
 日本ハリスト正教会教団

明治24年完成ってぇ(?_?)
几号水準点が盛んに設置された明治7〜12、3年の頃と時期がズレていますが?。

竣工当時の古い絵葉書をみると

竣工当時の日本ハリストス正教会
竣工当時の日本ハリストス正教会の絵葉書

主教館主教館(赤矢印)が二階建て。
今の建物は平屋なのですが?
出入口もそうだったのですが、かなり改修の跡がありそうです。

明治初期と明治末期の地図で確認してみましょう。

ニコライ堂古地図
左:明治9-17年(1876-84年)5千分の1右:東京図測量原図より明治41-42年1万分の1測図 赤矢印がニコライ堂(クリックで拡大)。

なるほど、明治9年の地図に、ニコライ堂はまだありませんが、主教館(青矢印)はすでに描かれていました。

地図だと二階建てか平屋かはわかりませんが、主教館は明治7年ごろ(明治7年と云っている資料と明治8年と云っている資料有り)の竣工。ニコライ堂よりも古い歴史があったのです。

聖ニコライの年譜に、

明治7年5月、東京に正教の伝教者を集めて、布教会議を開催した。そこで、全20条の詳細な『伝道規則』が制定された。

とあります。初めはココでご教授されていたと思われます。

二階建ての謎

こちらも記録があり、簡単に謎が解けました。

最初、2階建でしたが、2階部分は関東大震災で崩壊、岡田信一郎によって改修され1階建ての平屋に変更されました。東京最古のレンガ造ということになります。

主教館なるほどぉ、関東大震災で倒壊後、残った一階部分をそのまま利用したので几号水準点が残ったのかぁ。東京最古のレンガ造だったとは知りませんでした。

ニコライ堂があまりにも素敵な建築で、ニコライ堂にばかりに目が行きがちですが、こちらも災害を乗り越え、改修を重ねて、現在がある隠れた名所です。


千代田区大手門の几号水準点


大手門は江戸城の表玄関。大名は大手門か桜田門から入城するのがしきたりだったそうです。もしも大手門だけしか使えなかったなら桜田門外の変ではなくて大手門外の変になっていたかもしれません。

大手門の入口の高麗門にも几号水準点が刻まれています。

几号水準点って何?を参照

大手門の几号水準点の位置
大手門の几号水準点の位置

大手門の几号水準点

2015年2月現在、大手門の渡櫓は改修工事中です。東日本大震災のとき、漆喰にヒビが入り、痛々しかったのですが、本来の美しい姿に戻している最中です。
この渡櫓は関東大震災で大破、空襲で全焼するという災難続き。昭和後期になって再建されましたが、またまたまたの災難でしたが、几号水準点のある石垣は損なわれていません。

明治の地図をみると、

古地図:明治20年(1887年)東京実測図より大手門。
古地図:明治20年(1887年)東京実測図より大手門(クリックで拡大)。

少し不鮮明で、なんとも言いようがありませんが、11尺でしょうか?。公的資料である地理局雑報に記録がないものです。

【朗報】
2016年、気がついたら、渡櫓の修理が終わっていました。

大手門

大手門の几号水準点の位置(E
拡大すると正確な位置がわかり、クリックするとリンクがありますのでそれぞれのページに詳しい情報があります。