文京区小日向の謎の几号水準点


地理局雑報という公的資料に載っていない几号水準点。なぜここにあるのか謎!水平設置されたものなのか?垂直設置されたものの移設なのか?謎です。
本来、垂直面にあるべき「不」マークが道路に埋め込まれていて、しかも✖️印の傷がある!不自然な形、垂直面に刻まれたものを切ったときの傷なのでしょうか?

小日向の几号水準点

几号水準点とは

この状態の時は近辺からの移設の可能性を疑ってみましよう。
そこで明治期の地図を見ると、、、

明治7-17年 5千分の1東京図測量原図より
明治7-17年 5千分の1東京図測量原図より

今ある几号水準点は赤矢印の地点です。近くに道栄寺の山門(青矢印)があったらしく、なおかつ山門には標高26mの等高線が自信ありげに通っています(道栄寺は今もありますが敷地が小さくなってます)。あやしい( ¬_¬)

そこで今は無き山門の柱に刻まれたものなんじゃねっ?と妄想を膨らませて現場に行ってみると、そこは現在、山門から参道までのエリアが駐車場へと変貌しておりました。
その辺りを探索すると石積みの中に碑らしきものを発見(*’д’*)!解読不能、、、仏教の有難いお言葉か?明治政府設置の標石か?またまた謎!

もと道栄寺山門にある碑石
もと道栄寺山門にある碑石
山門があった場所
山門があった場所。山門へ登る傾斜をそのまま利用したと思われます。
謎の碑石
謎の碑石の位置

物資が不足している時期は墓石や標石を資材として再利用するのが一般的だったといいます。

実際、あるお寺を訪れた時、無縁仏の墓石を再利用した石畳をみたことがあります。恐れ多くて踏むことができませんでした(踏絵みたいだ)。

とあるお寺の石畳。どうみても墓石の再利用。
とあるお寺の石畳。どうみても墓石の再利用。

地図上でも赤矢印、青矢印の位置にそれぞれ測量点を表わす◯印が記されていてどちらに几号水準点があったのか判断できません。

この謎の碑石も測量点になっていたとも考えられ、破棄しようにも破棄できなかったのかも。

明治の測量法では政府が設置した標石を破棄または破損すると罰金または懲役でしたから、こんな形で残っているのでしょうか?

しかしながら几号水準点の✖️印の傷なんなのか?この傷が付いた意味、不自然な形、どんな歴史を辿ってきたのか?
考えると眠れなくなっちゃう〜。
形状的には市ヶ谷見附の几号水準点に似ています。水平設置と思われる白山の几号水準点とは違います。
今後も調査が必要ですね。

いずれにせよ100年以上の間に何かがあったが、今日まで存在している測量遺産。大切に守っていきたいものです。

この几号水準点は本法寺の几号水準点に近く、探索するときは2つ同時に訪れることができます。


文京区小日向本法寺の几号水準点


本法寺の桃
本法寺の桃

本法寺の源平桃の蕾夏目漱石の夏目家のお墓があるお寺です(漱石先生のお墓は雑司が谷霊園)。

春になると桃が咲いて梅や桜とは一味違う甘く豊かな華やかさがあります。境内に漱石先生の歌碑がひっそりとあり、

「梅の花 不肖なれども 梅の花」

明治29年、松山からお見合いをするために上京したとき、亡き母のお墓参りに立ち寄って詠んだ歌です。漱石先生、ここは桃の名所で梅ではありませんよ!とツッコミたくもなりますが、明治のころは今よりも梅がたくさん咲いていたんのでしょうか?

本法寺の梅「不肖なれども」はいまだに地方にいる自分のことを言っていると云います。
この句に対して、漱石先生の俳句の師である高浜虚子の評価は○(◎でない)。親友であり、俳句の先生でもあった正岡子規先生は「ドツチカ梅ノ花ヲ一ツニシタラヨカロ」とそっけないもの 。漱石先生の本職は俳句ではないのでこれはこれでいいと思います。
そこはかとなく好きです。

夏目漱石の歌碑

さて、几号水準点は、本殿の向かって右側の家屋前、防火用水盆が置かれていた台座に刻まれてます。だいたいいつもはお寺さんがお花の鉢を置いています。

几号水準点とは

新宿区市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮の几号水準点
防火用の水盆が乗っていた台座に几号水準点が。

入口の山門あたりから移転されたものとのことです。明治の地図を見ると、なるほどぉ、ずいぶんと建物のレイアウトが変わってます。漱石先生の梅があったのも納得できます。

本法寺地図

門の前に石造物らしきものがあります。経験的に二つあるものの場合はだいたい右側に刻まれているので多分右です。

なぜこんなところに几号水準点があるかというと毘沙門天の几号水準点は高台にあり、ここは神田上水沿いの下町なので高台からはよく見えたのだろうと思います。

本法寺の几号水準点を訪れたら近くの不思議な傷のある謎の几号水準点を訪れるといいでしょう。