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菊坂エリア(菊坂、鐙坂、炭団坂)

Deepな路地裏がオモロな菊坂周辺

文京区本郷のこのあたりは下町情緒と文豪の香り漂うエリア。菊坂、鐙坂(あぶみさか)、炭団坂(たどんさか)と名坂揃いです。
菊坂の名の由来はこの辺り一帯、菊畑だったので、と言います。たぶん貧乏旗本や御家人が内職で菊を栽培していたのでしょう。坂と言われれば坂ですが、言われなければ気付かないほどの傾斜です。
文豪のひとり、樋口一葉の旧居跡が菊坂下道にあります。菊坂下道はもと東大下水(ひがしおおげすい)という下水が流れていました。文京区ふるさと歴史館に行って帰るとき、初めてここを走って、暗渠ではないか?と直感的に思い、明治の地図で見ると、、、

明治41-42年一万分の一測図(菊坂周辺)
明治41-42年一万分の一測図(菊坂周辺)

不鮮明ですが青いライン(東大下水)がみてとれます。

菊坂下道は川というわけではなく道の脇に下水が通っていてドブ板を渡していたようですね。
一葉一家は菊坂下道から南に少し入った路地裏にある借家に住んでいました。行ってみると、、、

一葉の井戸
一葉の井戸

こんな迷宮のような異次元空間が東京の真ん中にあったとはビックリです。
この辺りは自動車も簡単に入って来れないエリアなので、渡船でしか行けなかった月島のように古き良き文化が残りそうに思います。

樋口一葉が使った井戸が残っていて井戸端会議の声が聞こえてきそうです。
一葉一家は明治23〜25年(1890〜1892年、一葉18〜20歳のティーンエイジ)までここに住んでいましたが、安藤坂の中島歌子の歌塾「萩の舎」に住み込み女中(ビンボーだったので)をしながら学んでいた時期もあったようです。

この頃の一葉は朝日新聞の小説家、半井桃水さんに一目惚れして師事、ルンルンだったと。
そんなこと普通はバレないんですが、一葉が亡くなるとき、日記は焼いてくれと頼まれた妹さんでしたが、一葉の作品を残そうと日記も発表。夏子(一葉の本名)ちゃんの可憐な娘心も明らかになるのでした。一葉の死後16年経って知った半井さんは目が点だったといいます(・_・)。

ここは一部私道なので訪れるとき私語は絶対厳禁です。
ご近所の迷惑にならないようにお願いします。

このような稀有なエリアは宣伝して観光地化するより、ひっそりと訪ね、ひっそりと残すのがいいと思います。

一葉が通ったという菊坂の伊勢屋質店も、寂しい雰囲気を醸し出してます。

伊勢屋質店
一葉が通った伊勢屋質店
伊勢屋質店説明板
伊勢屋質店説明板
菊坂から菊坂下道へ降りる階段坂
菊坂から菊坂下道へ降りる階段坂。郷愁を感じます。
菊坂下道の床屋さん
菊坂下道にある床屋さんもどこか懐かしい。
安藤坂の「萩の舎」跡
今はマンションが建つだけの安藤坂の「萩の舎」跡
樋口一葉像
五千円札よりチョットいけてると思いませんか?樋口一葉の肖像。

クネっと曲がる鐙坂(あぶみさか)

馬具の一つで、馬に乗るとき鞍に座り、足をかけるところを鐙といいます。坂のカーブが鐙の形に似ているので鐙坂といいます。(異説はありますが)
この坂、味ありますよね〜。TVドラマの撮影にもよく使われるそうで、着物を着たキレイな未亡人が降りてきそうな趣きがあります。

鐙坂
鐙坂
菊水湯
鐙坂入口にある懐かしい趣きがグッドな銭湯「菊水湯」前を下水が流れていました。

明治の地図を見ると鐙坂と表記されています。菊坂、炭団坂の表記はないのになんで?と思いましたが地図左上にある★印に注目。これは軍司令部のマークで日清日露戦争の召集令状は全てここから発信していたと言います。そのような重要機関があったので鐙坂の表記は必要だったと思われます。鐙坂の司令部とでも呼ばれていたんでしょうか?あまり知られていない過去ですが、今では全く面影がありません。

明治41-42年一万分の一測図(鐙坂周辺)
鐙坂と★マークに注目

この鐙坂を登って行くと「金田一京助・春彦旧居跡」の説明板があります。金田一京助の当時の家とは違いますが古〜い家屋が建っていて雰囲気ありありです。

金田一京助・春彦旧居跡の説明版
金田一京助・春彦旧居跡の説明版

金田一京助・春彦旧居跡

鐙坂の路地
鐙坂の路地。味がありますが私道ですので住人以外は通行不可です。

転げ落ちると真っ黒!炭団坂

崖上と崖下を一直線に結ぶ急坂。文京区らしい地形です。江戸期に急坂ランキングがあったとしたら、ここかキリシタン坂がナンバーワンを争うと思います。
江戸の頃は、舗装も階段もなく、急なので、雨でも降れば、登ろうとした人が炭団(たどん )のように真っ黒になって落ちてきたといいます。
明治の写真を見ても車止め無し(;▽;)道を間違えた自動車が時々、転がり落ちてきたらしいです。こっちの話の方がドリフターズのコントっぽくってオモロです。

炭団坂(坂上より)
炭団坂(坂上より)

明治の写真の左側の崖道、よくみるとガードレールもないですねえ。怖っ!((((; ゚Д゚)))
この崖道を行くと坪内逍遥の住居跡で「常磐会」という寄宿舎だったところです。正岡子規も3年間寄宿していたとのこと。

炭団坂(坂下より)
炭団坂(坂下より)

まだまだ話題が尽きないディープなエリア、宮澤賢治の下宿跡もあるそうですが見逃しました。次回の宿題です。

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