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文京区湯島天神(湯島天満宮)の几号水準点

湯島天満宮夫婦坂
湯島天満宮夫婦坂

湯島天神(湯島天満宮)のご祭神は、天之手力雄命(アメノタヂカラヲノミコト)と菅原道真公です。
地図を見ると、銅鳥居と本殿を結ぶ線は真南を向いて、その軸線上に妻恋神社、神田明神、ニコライ堂が存在しています。

まるで湯島天神が引き寄せたようなパワーを感じます。
アメノタヂカラヲノミコトは天岩戸でアマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、アマテラスを引きずり出した神様です。
どうりで、本殿が太陽が見える真南を向いてるわけです。

湯島天神は坂道でも「天神男坂」「天神女坂」「天神夫婦坂」と名坂揃いです。

天神女坂
天神女坂
天神男坂
天神男坂

司馬遼太郎先生はこれらの坂道、崖を見て、中世、ここに砦があったのではないかと、小説「街道をゆく」の中で言っています。
それを証明する資料が存在しないのでその案は諦めています。
さすが、司馬史観と云われる姿勢が一貫しています。

湯島天神(湯島天満宮)銅鳥居

さて、几号水準点はどこに、、、

湯島天神の銅鳥居に几号水準点が刻まれています。
この鳥居は青銅製で寛文7年(1667年)に創建され、寛文11年(1671年)修理した銘があり、数々の災害を乗り越えてきた貴重なものです。都指定文化財にも指定されています。

几号水準点は、本殿に向かって左の石製台座に刻まれています。
くっきりときれいに彫られ保存状態も良好です。それにしても青銅下部の唐獅子がかわいい。
ここから見ると南に向かう通りがまっすぐ伸びていて測量するときに見渡しが良かったと思われます。

几号水準点って何?を参照

公的資料:地理局雑報にある記載
湯島天神社華表石礎 17.8303m
湯島天神鳥居の几号水準点
湯島天神鳥居の几号水準点
古写真:湯島天神銅鳥居
古写真:湯島天神銅鳥居。通りの道がずいぶんと狭い。現在の道はだいぶ拡張されています。
古地図:明治20年(1887年)東京実測図より湯島天神。
古地図:明治20年(1887年)東京実測図より湯島天神(クリックで拡大)。

古地図赤矢印、現在の鳥居の位置に「不」の字があり、この几号水準点は移動していないようです。

奇縁氷人石

石は人類史上、最も優秀なストーリッジだと思っている私としては、見逃せない「奇縁氷人石」をご紹介します。

湯島天神は数々の行事とともに、幕府公認の三大富くじ(谷中感応寺、目黒滝泉寺、湯島天神は江戸の三富と呼ばれた)抽選会場の一つで、人がたくさん集まる場所でした。

なので一石橋の迷子知らせ石のような「奇縁氷人石」があります。右側に「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と書かれています。お江戸は人口が多く、迷子も多かったようです。

「奇縁氷人石」は嘉永三年(1850年)お江戸で初めて建てられた迷子掲示板です。

奇縁氷人石右たつぬるかた
奇縁氷人石。右に「たつぬるかた」
左をしふるかた
左に「をしふるかた」

撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。

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中央区一石橋、迷子しらせ石の几号水準点

几号水準点界の価値あるお宝、迷子しらせ石

一石橋は江戸城にも、呉服橋、日本橋の商業地にも近く、神田と日本橋を結ぶ、相当通行量の多かった橋と思われます。そんな人通りの多い橋のたもとに江戸っ子たちは迷子尋ね人用に掲示板ならぬ掲示石を立てました。正面に美しい書で「満よひ子の志るへ」(迷子の標)、左面に「たつぬる方」(迷子を捜している人)、右側に「志らする方」(知らせる人)と刻んであります。

几号水準点って何?を参照

一石橋南たもとの迷子しらせ石
正面に「満よひ子の志るへ」

側面上部の窪みに迷子の背格好、年齢などの情報を紙に書いて貼り付けました。投稿欄とコメント。お江戸のコミニュケーションツールです。

2ちゃんねるもFBもツイッターもない時代の人情味あふれる遺物です(同じようなものは人の集まる湯島天神にもあり、そちらは奇縁氷人石といいます)。

一石橋南たもとの迷子しらせ石
左面に「たつぬる方」
一石橋南たもとの迷子しらせ石
右側に「志らする方」

深く美しい彫り

明治になって、正面下部に几号水準点も刻まれて、江戸東京博物館にレプリカが展示されているくらい、民俗学的にも測量史的にも一級の史料です。

迷子しらせ石の几号
迷子しらせ石の几号水準点。

古写真を見ると、、、

私だけが国宝級だと思っているのですが、当時から有名だったらしく古写真も残っています。

古写真:迷子しらせ石
古写真:迷子しらせ石

ずいぶんと埋まった状態です。几号水準点が刻まれたのはこの後と推測できます。

古写真:一石橋
古写真:一石橋

一石橋のたもと、人力車の横に建っています。お堀の対岸は江戸城城内で、お堀は今の外堀通りです。場所が地図とも一致し、この頃、几号水準点が刻まれたと思われます。

古地図には、几号水準点の「不」の字と9.61(9.61尺)とあります。

古地図:明治20年(1887年)東京実測図より一石橋
古地図:明治18年(1885年)東京実測図より一石橋迷子知らせ石の几号水準点(クリックで拡大)。
公的資料:地理局雑報にある記載
一石橋迷子知ルヘ石  2.9227m

五斗+五斗で一石橋?

因みに一石橋の名の由来は橋の北側の金座(今の日本銀行)の後藤庄三郎、南側の呉服商の後藤縫殿助の屋敷があり、橋が壊れた時二人の後藤の援助で再建されました。
後藤の読みから「五斗」、「五斗+五斗で一石」と、シャレで一石橋と名付けられた(;  ̄ェ ̄)
なんともシャレ好きな江戸っ子らしいエピソードです。

迷子しらせ石、几号水準点の位置(J
拡大すると正確な位置がわかり、クリックするとリンクがありますのでそれぞれのページに詳しい情報があります。

撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。

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