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「君の名は。」聖地巡礼(奥寺先輩とデート編)

入れ変わっていた三葉のお膳立てで、アルバイト先の先輩、奥寺ミキ女史とデートしたのは五年前。

君の名は。瀧くんバイト先。新宿御苑の「Cafe La Boheme」

滝くんバイト先。新宿御苑の「ラ・ボエム」。
瀧くんアルバイト先。新宿御苑の「Cafe La Boheme」。

瀧くん本人となって目覚めると、奥寺先輩とデートの約束が!
予期せぬ突然の出来事に慌てて、10時30分待ち合わせの四ツ谷駅に走ります。

気の名は。瀧くんち近所。新宿区若葉。

君の名は。新宿区若葉の滝くんち近所。
新宿区若葉の瀧くんち近所。

小説版「君の名は。」での設定では、瀧くんの自宅は千代田区六番町ですが、ここは新宿区若葉です。

通っている高校は、ん?「都立神宮高校」?。これは架空の高校で、立地モデルは青山高校のようです。

君の名は。都立神宮高校

君の名は。神宮外苑。

君の名は。神宮外苑絵画館
神宮外苑聖徳記念絵画館。

また、瀧くんちから少し行くと、陸橋があり、橋下に中央線の並走を観ることができます。

君の名は。中央線の並走が観れる陸橋

君の名は。並走する中央線。

君の名は。並走するオレンジ色の中央線快速と黄色の各停
並走するオレンジ色の中央線快速と黄色の各停。

三葉と瀧くんが乗っているかもしれません。

君の名は。四谷駅。

君の名は。JR四ツ谷駅
JR四ツ谷駅。

待ち合わせは四ツ谷駅赤坂口

約900mのダッシュで疲労困憊。
這々の体で四ツ谷駅赤阪口にたどり着く滝くん。

君の名は。四谷駅赤阪口。

君の名は。四谷駅赤阪口
四ツ谷駅赤阪口。

駅前で奥寺先輩と会い、その美しさに見惚れてしまいます。

君の名は。四谷駅赤阪口。

君の名は。四ツ谷駅赤阪口
四ツ谷駅赤阪口。

君の名は。四谷駅。

君の名は。四ツ谷駅前。
四ツ谷駅前。

ん?、なんか街の看板が違います。KFCがKECになっているのはわかりますが、、、

以前の写真を探すと、「綿半」は「綿半野原ビル」で、

「トクホのコーク」は「エイブル」。
映画作成当時は「綿半野原ビル、エイブル」の看板だったようです。

六本木でデート

四谷で待ちあわせ、その後、おそらく東京メトロに乗り、六本木で下車。六本木ヒルズ、国立新美術館のお決まりデートコース。

君の名は。六本木ヒルズ。

君の名は。六本木ヒルズ
六本木ヒルズ。

君の名は。六本木ヒルズ展望台。

国立新美術館
国立新美術館。

君の名は。国立新美術館。カフェ「サロン・ド・テロンド」。

君の名は。国立新美術館
国立新美術館。カフェ「サロン・ド・テロンド」。

この日の瀧くんは三葉と入れ替わった時のように、女子力を発揮できずにオドオド。
三葉のことも心の片隅にあり、お決まりデートコースですが、決まり悪いデートに終始します。

五年後のデート

あれから五年経ち、少しだけ大人になった二人。

君の名は。四谷駅。

この時も待ち合わせは四ツ谷駅。
似合わない就活スーツを奥寺先輩にからかわれます(ツッコミどころは五年間、街のビルの看板が変わっていないことです)。

さしたるデートスポットにも行かず、真田堀グラントの土手を歩き、紀尾井坂を下り、清水谷を経て(推測)、赤坂見附へ。

真田堀グランド土手の小道。
真田堀グランド土手の小道。

君の名は。真田堀グランドから。

君の名は。真田堀グランド土手より。
真田堀グランド土手より。

君の名は。赤坂見附弁慶橋。

赤坂見附弁慶橋北詰め
赤坂見附弁慶橋北詰め

昔を追想しながら、人気の少ない紀伊国坂を登ります。

君の名は。紀尾井坂。

君の名は。紀伊国坂
紀伊国坂

君の名は。ホテルニューオオタニ。

君の名は。紀伊国坂から見えるホテルニューオオタニ。
紀伊国坂から見えるホテルニューオオタニ。

紀伊国坂を登りきり、赤坂喰違坂で暮れゆく遠景を見ながら、語り合います。

君の名は。喰違坂。

君の名は。赤坂喰違坂
赤坂喰違坂。

坂道の歴史ウンチク

茜草赤阪の地名語源は赤土の坂、紀州徳川家中屋敷周辺に茜草が多く生えていたのでとも云います。

今では、赤土も茜も見ることはできません。江戸切絵図を見てもかなり変わっているようです。

紀伊国坂
紀伊国坂
安政四年(1857年)今井谷六本木赤坂繪圖より
安政四年(1857年)今井谷六本木赤坂繪圖より紀伊国坂

赤坂御門(赤坂見附)の土橋を下ると元赤坂の町人地が広がり、紀伊国坂は今よりずっと短く、町人地の町はずれから始まっています。
今のように堀沿いの坂道ではなかったようです。
もちろん、古地図青矢印の溜池は埋め立てられています。

明治5年、赤坂見附からみた元赤坂
明治5年(1872年)、赤坂見附からみた元赤坂。

紀伊国坂交差点の赤坂喰違坂は赤坂御所東門に近く、岩倉具視暗殺未遂事件が起きていますщ(゚Д゚щ)。明治維新初めのことです。

二人はこんな話をしていないことは確かです。

喰違坂
赤坂喰違坂。

岩倉具視暗殺未遂事件「赤坂喰違の変」と、生き残った岩倉邸を参照

古地図で辿る大久保利通、最期のルート「紀尾井坂の変」を参照

信濃町駅前歩道橋

そして日が暮れ、別れは、いつも信濃町駅前。歩道橋の上で。

君の名は。ドコモタワー。

君の名は。ドコモタワー
信濃町駅前からのドコモタワー。

君の名は。信濃町駅前歩道橋。

君の名は。信濃町駅前歩道橋
信濃町駅前歩道橋。

なぜか、印象的なシーンはいつもこの歩道橋。

君の名は。信濃町駅前歩道橋。

君の名は。信濃町駅前歩道橋。

そういえば、
この歩道橋には青い行先標識が付いていませんщ(゚Д゚щ)。

君の名は。信濃町駅前歩道橋。

君の名は。信濃町駅前歩道橋
信濃町駅前歩道橋

この標識は歩道橋から青山方面へ向かうとありました(^^*)。

君の名は。行先看板

君の名は。四谷須賀神社男坂。

「君の名は。」のラストシーン聖地巡礼と坂道の歴史ウンチク

「君の名は。」ハリウッドで実写映画化決定!
ハリウッド版にありがちなこと。
5年後奥寺先輩は未婚の母とか、奥寺先輩がカクテルシェイクがトムクルーズ以上とかщ(゚Д゚щ)

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岩倉具視暗殺未遂事件「赤坂喰違の変」と、生き残った岩倉邸

大久保利通暗殺事件「紀尾井坂の変」が起きた清水谷から紀尾井坂を登ると喰違見附に出ます。
紀尾井坂の変の四年前、ここでも事件が発生しています。右大臣・岩倉具視暗殺未遂事件「赤坂喰違の変」です。

喰違見附

喰違(くいちがい)とは、敵の勢いを弱めるクランクのことで、江戸城外郭の遺構です。
喰違見附から堀を渡る土橋の部分は喰違坂と呼ばれています。

喰違見付
喰違見付のクランク。
古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より喰違見付。
古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より赤坂仮御所東門(A)、喰違坂(B)、真田堀(C)、喰違見付のクランク(D)、清水谷(E)。

明治七年(1874年)1月14日午後8時、赤坂仮御所で公務を終えた岩倉具視の馬車は東門(A)から退出。紀伊國坂を少し下って左折、土橋の喰違坂(B)を登り、自邸へと、帰路につきます。

赤坂仮御所東門
赤坂仮御所東門(A)。
赤坂仮御所東門から紀の国坂、喰違い坂
赤坂仮御所東門(A)から紀伊國坂交差点を左折、喰違坂(B)へ。
喰違坂
紀尾井坂交差点、喰違坂。

がしかし、ここで元土佐藩士、武市熊吉ら、不平士族九人が待ち伏せていました。

テロにいち早く気づいた岩倉具視は馬車を飛び降り逃げます。が、斬りつけられ、数カ所の傷を負ってしまいます。
車夫は助けを求めに今出てきたばかりの御所に走り戻ります。
暴漢に囲まれ、逃げ場を失った岩倉具視、絶体絶命の大ビンチ

この危機に際し、彼のとった行動とは?

真田堀グランド
真田堀グランド

間一髪、真田堀(C)にダイブ(゚Д゚;)!

夜陰の中、刀に手応えを感じなかった犯人グループはターゲットを見失い、やがて御所からの救援部隊が駆けつけ、逃走するしかありません。

この際、慌てた犯人の一人は現場に下駄を残してしまいます。

喰違見付から。真田堀は戦災の瓦礫で埋め立てられ、上智大学真田堀グランドとなっています。
喰違見付から真田堀を望む。真田堀は戦災の瓦礫で埋め立てられ、上智大学真田堀グランドとなっています。

岩倉具視は、幸いにも眉と腰に軽傷を負っただけで、助けあげられ、九死に一生を得ます。

『岩倉公画伝草稿絵巻』より、第18巻、岩倉は、皇居の壕に身を隠し難を逃れた。
『岩倉公画伝草稿絵巻』より、第18巻「岩倉は、壕に身を隠し難を逃れた」。

知らせを聞いた西郷従道大久保利通は、すぐさま赤坂仮御所に参内。不平士族の仕業という、この事件を重くみた大久保利通は、ときの警視庁大警視、川路利良に早急の調査を命じます。

西郷従道、大久保利通、川路利良
西郷従道、大久保利通、川路利良

残された下駄を手掛りに、販売した下駄屋をつきとめ、購入者が武市熊吉と判明、芋づる式に九人を逮捕。事件後わずか三日のスピード逮捕でした。
当時から日本の警察力には恐れ入ります(`_´)ゞ。

暗殺が未遂に終わった要因

1. 岩倉具視が馬車をいち早く飛び降りたこと。
2. 赤坂仮御所に近かったこと。
3. 逃げ場はないと思われていた土橋から飛び降りたこと。
4. 夜で見通しが効かなかったこと。
5. 堀の中で騒がず、息をこらえ、じっとしていたこと。

「紀尾井坂の変」の場合、大久保利通は馬車内に留まり命を落とします。「逃げるが勝ち」とはよく言ったものです。

岩倉具視は夜8時まで働いていた勤勉さも幸いしています。

古地図で辿る大久保利通、最期のルート「紀尾井坂の変」を参照。

また、岩倉具視は正装の分厚い装束だったことも軽傷で済んだ要因の一つ。

正装の岩倉具視
正装の岩倉具視。岩倉具視の護身用短刀、携帯ピストルと火薬入れ、刀傷と血痕のある袴。

護身用の短刀、ピストルも所持していましたが、交戦せず、堀に飛び込んた咄嗟の判断。
幕末から常に刺客に狙われていた彼なりのことで、危険察知・危機管理能力には感心します( ̄^ ̄ )う〜ん。

岩倉具視邸のビックリ!

ところで岩倉具視邸はどこにあったのでしょうか?

なんと!江戸城内曲輪(うちくるわ)、江戸城内堀の内側(現・皇居外苑)、馬場先門内、元老院のお隣にありました。さすがは明治天皇の右腕、右大臣は相当なVIPだったことがうかがえます。

古地図:岩倉具視邸周辺
古地図:岩倉具視邸周辺(クリックで拡大)。
古写真:元老院
古写真:元老院
古写真:馬場先門
古写真:馬場先門
現・土橋の大通りとなっている馬場先門。
現・土橋の大通りとなっている馬場先門。手前の木立の裏に元老院、向こうの木立の裏に岩倉邸があったことになります。

正式な出仕ルートは残されていませんが、このように想像できます。もしかすると半蔵門から皇居を出たのかもしれませんが、最短ルートが桜田門三宅坂、清水谷坂、紀尾井坂、喰違見附経由だったとわかります。

岩倉具視出仕ルート
岩倉具視出仕ルート。岩崎邸(A)、桜田門(B)、喰違見付(C)、赤坂仮御所東門(D)(クリックで拡大)。
清水谷坂
清水谷坂

警視庁はどこにあったのか?

川路利良大警視の警視庁はどこにあったかというと、なっなんと!現在の東京駅あたりです(北口の線路の下 (≧∇≦))。

古地図;岩倉邸と警視庁
古地図;岩倉邸警視庁(クリックで拡大)。
古写真:警視庁(明治10年頃)
古写真:警視庁(明治10年頃)。
古写真:警視庁消防出初め式
古写真:警視庁出初め式

えっえっ、出初式ってぇー?
当時、東京消防庁は独立していなくて、警視庁が治安も消防も担っていました。この古写真は警視庁出初式の模様です。

そして最大のビックリは岩倉具視邸の古写真が存在するということ!

岩倉具視邸の古写真⁈

2013年初め、ネットオークションで岩倉具視邸の古写真発見!というビックニュースが飛び込んできました。

古写真;岩倉具視邸

ん?、これってぇ軍用電信隊じゃねっ?

以前から古写真「軍用電信隊」と紹介されていたものです。
軍用電信隊は和田倉門外にありました。

古地図:岩倉邸(赤矢印)軍用電信隊(青矢印)。
カメラ画角比較
クリックで拡大。

改めて古地図で比較してみたところ、カメラ画角から、長屋門の門構え、屋敷配置が岩倉邸とピタリと一致!。軍用電信隊とは違うようです。

岩倉公邸ノ内」と裏書のある古写真が発見され、裏書によって真実が判明したというケースです。
明治三年(1870年)〜明治十七年(1884年)まで馬場先門内にあった岩倉具視邸に間違いありません。

古写真;岩倉具視邸

しかしながら、この馬車でテロに遭遇したのかも?と思うと臨場感があります。

邸宅は、もとあった松平下総守の忍藩邸を転用、改築したもので大名屋敷の面影をよく残しています。

古地図:安政七年(1860年)大名小路神田橋内内櫻田之圖より松平下総守と馬場先門。
古地図:安政七年(1860年)大名小路神田橋内内櫻田之圖より松平下総守馬場先門

またまたビックリ!
岩倉邸が現存していた。

古写真;岩倉具視邸玄関国家機関の古写真は記録を兼ねているので、よく残っているものですが、明治の元勲の私邸は稀です。
もっと古写真は残っていないかと調べると、、、
ななっ、なんと!移築された岩倉具視邸の一部が残っているってぇ!щ(゚Д゚щ)

しかもご近所、新宿区高田馬場、玄国寺の書院です。
早速、行ってみると、ほんとだぁ、古写真の玄関エントランスの瓦屋根と同じです。

明治十七年、皇居外苑拡張のため移転。各地を転々、大正時代、麹町で取り壊されるところを、住職がもったいないと言って譲り受けたそうです。

岩倉具視邸

鬼瓦は源氏の笹リンドウ。岩倉具視は村上源氏の流れです。
加山雄三、喜多嶋舞さんも岩倉具視のご子孫です。

玄関
玄関上部。

岩倉具視邸側面

建物側面はオシャレな和洋折衷で改築した跡が見られます。庇は銅葺きのようで、明治感が漂います。

岩倉具視邸側面

岩倉具視一般的に、幕末明治をしぶとく生き残ったイメージのある岩倉具視。

五百円札は最近見ませんが、古写真も現物も残っているとは、ビックリの岩倉邸です。

喰違と紀尾井坂下

明治初期、赤坂喰違の変、紀尾井坂の変と続けて起きましたが、明治9年測量を開始し、明治17年発行のこの地図では紀尾井坂下に交番と明かり灯台が設置されています。

明治の治安は、職を失った武士(士族)を中心に守られていくことになります。

次は書ききれなかった江戸時代のお話から、
「切絵図にみる紀尾井坂と松陰を斬った一族、首切り浅」

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