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フミサカ、文坂?コミサカ、ゴミ坂?と幽霊坂

千代田区の幽霊坂と消えた坂の秘密の項で「フミサカ」を「文坂」と想定して書きましたが、読者の方から、

「安政七年(1860年)版の切絵図だとフミサカじゃなくて、微妙にコミサカって読めるんだけど、、、」

とのご指摘がありました。

嘉永六年(1853年)尾張屋刊江戸切絵図より「フミサカ」
嘉永六年(1853年)尾張屋刊江戸切絵図より「フミサカ
安政七年(1860年)尾張屋江戸切絵図より「コミサカ」
安政七年(1860年)尾張屋江戸切絵図より「コミサカ

確かに安政七年版では「コミサカ」に見え、
「コミサカ」だった場合は、コミサカ=ゴミ坂

ゴミ坂(ゴミ捨て場があったところ)だと名乗ってしまったことになります。

因みに現代の地図を重ねると聖橋、本郷通りは以下のルートになります。

聖橋、本郷通り

明治28年東京市神田区区分図

気になって調べると、明治28年の地図が地形に詳しく、以前、この坂はもの凄いクランクだらけ(緑色)だったようです。

明治28年東京市神田区区分図
明治28年東京市神田区区分図より

この坂(緑ライン)から続く幽霊坂(青ライン青矢印の方向へ下る)のゴミを目隠しするクランクです。

フミサカの辺り
赤矢印が今の幽霊坂の坂名柱あたりで幽霊坂(青ライン)へと、写真奥の方へと下っています。

これは文坂ではなくゴミ坂であることの有力な根拠になります。

フミサカ説の根拠

一方、フミサカ説の根拠は、ゴミ坂と呼ぶのを嫌い、別名で呼ぶ、よくあるパターンです。

江戸時代には住所表記はなく、「拙宅は駿河台、○○坂上にあり申す」などと、坂名は住所代わりだったのです。
その時、ゴミ坂の坂上とは言いたくないので、別名で言ったりします。フミサカはゴミザカの別名だったのかもしれません。

定火消屋敷新宿区、神楽坂の庚嶺坂(ゆれいざか)、文京区の立爪坂のように、別名をつけたのかもしれません。

この辺りの小旗本か、または、暇な火消屋敷の人々の言葉遊びでつけた別名とも思えてきます。

 鬼門の方角、太田姫稲荷神社

余談ですが、もう一度、この地図を見てください。聖橋のところにあった太田姫稲荷はどこへ行ってしまったのでしょうか?

聖橋、本郷通り、太田姫稲荷神社

聖橋南詰には御神木があるのですが。

太田姫稲荷神社御神木
太田姫稲荷神社御神木

太田姫稲荷神社

調べると、太田姫稲荷神社(青矢印)は、聖橋が掛かる時、移転していました。

移転先は東京都千代田区神田駿河台1丁目2−3。

太田姫稲荷神社は太田道灌が江戸城内に築き、後に徳川家康が江戸城から見て、鬼門の方角にあたる神田川のほとりに遷座しました。

移転した千代田区神田駿河台の地も江戸城から見て、鬼門の方角です。これだけ文明が進歩しても、鬼門だけは外さない東京。

江戸城の鬼門の方角には、平川門(鬼門の方角にあり不浄門とも呼ばれています)から、神田明神、湯島天神、上野寛永寺と続きます。

都市の発展は古来からの風習に守られているのかもしれません。
そう思うと不思議な気持ちになります。

ゴミ坂を考察した以下のページもご参照ください。

庚嶺坂は幽霊坂?
庚嶺坂(ゆれいざか)の多すぎる別名

文京区には二つの幽霊坂があります。
文京区の二つの幽霊坂についての考察

芥坂の別名を持っています。
立爪坂の別名と歌川広重、スケッチの場所

新宿区に二つのゴミ坂があります。
新宿区の二つのゴミ坂と江戸市中引き回しコース

神社の裏に芥坂。
新宿区の御殿坂と筑土八幡神社

胸突坂にも疑惑が。
胸突坂と神田川

もとはもっと多くのゴミ坂が存在したはずですが本名を隠しているケースもあり、ゴミ坂探しも面白いものがあります。

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