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神楽坂と仇討ち事件

江戸名所図会(神楽坂)
江戸名所図会(神楽坂)クリックで拡大

江戸名所図絵をみると、神楽坂は急坂で階段坂だったようです。
今でも神楽坂の中心である毘沙門天と、今はない高田八幡(穴八幡)のご旅所が目に付きます。

高田八幡のご旅所で祭礼の際、神楽を奏していたので神楽坂の名がついたといわれています。諸説ありますがだいたい神楽に関係しています。

古地図:江戸切絵図(神楽坂周辺)
嘉永七年(1854年)安政四丁巳年 (1857年)改 尾張屋刊 江戸切絵図(神楽坂周辺)クリックで拡大

浄瑠璃坂の仇討ちの舞台にもなった牛込御門は現在JR飯田駅神楽坂方面出口前で遺構が残っています。

浄瑠璃坂と堀部安兵衛を参照

牛込橋
牛込橋
牛込御門枡形の遺構
牛込御門枡形の遺構

駅前になにやら文字が彫られた大きな石があります。
「阿波守門」とあり、牛込御門は阿波の国の大名、蜂須賀候の普請だったということがわかります。
日比谷公園にある亀石という石もここから移転されたらしいとのこと。

牛込橋(牛込門の礎石)
牛込橋(牛込門の礎石)

牡丹屋敷?

古地図:牡丹屋敷(神楽坂)切絵図をみて、はてな?と思うのが神楽坂入口(いまのスタバがあるあたり)の「牡丹屋敷」?牡丹園か?と思うのですが江戸名所図絵をみても町人地ですが。。。

牡丹屋敷(江戸名所図絵)調べてみると、ここは、はじめ旗本を廃業した人が牡丹を栽培、まことにキレイだったので牡丹屋敷と呼ばれ、観光地の一つになっていたと。
その後、幾多の変遷の末、土地を町人に貸し出し町人地となったのですが、名前だけが残り牡丹屋敷という地名になったといわれています。

神楽坂は開削後、寺社の引越しラッシュがあり、たくさんのお寺が集まってきました。
毘沙門天も寛政5年(1793年)に麹町から引越してきました。
横寺町には今も多くのお寺さんがあります。

神楽坂善国寺毘沙門天
神楽坂善国寺毘沙門天

古地図:行元寺(神楽坂)一方、明治の区画整理で引越していったお寺もあります。
切絵図をみると善国寺毘沙門天のお向かいに広い敷地の行元寺(行願寺)があります。
行元寺は鎌倉時代末期からここにあったといいますが、明治の末、目黒へ移転しています。

行元寺の仇討ち

天明3年(1783年)冨吉という農民出身の男が、神楽坂、牛込肴町の行元寺の境内で父の仇を討ち取ったという記録があります。

下総に住む冨吉の父、庄蔵は同じ村の百姓組頭の男と口論になり暴行を受け亡くなった。
 息子冨吉は仇討ちを決意し、江戸に出た。神道無念流の道場で、5年間、一心に励み、
 神楽坂で仇敵を見つけ行元寺境内に敵を追いつめ本懐を遂げる。
 農民出身ではあるが取り調べの結果、仇討ちが認められ、
 旗本家に召し抱えられた冨吉は、百石取りの侍になった。

農民が農民を討ったという稀なケースですが、この事件は実録本が出版されるほど人々の関心を集めました。
神道無念流の道場はこれをきっかけに大評判となり門人3000人!を集めるほどになったといいます。

もと行元寺参道の入口
もと行元寺参道の入口

行元寺には仇討ち事件を伝える碑があって、その碑も目黒へ移転しています。
碑文は大田南畝によるものです。

行元寺の仇討ち碑文
行元寺の隠語仇討ち碑文
発卯天明陽月八
 二人不戴九人誰
 同有下田十一口
 湛乎無水納無絲
 南畝子

?(*’д’*)、なっ、なあんだがわかりません。
それもその筈、仇討ちの隠語碑といわれ、漢文の知識を持っていても訳すのが難しいものらしいです。訳すと、、、

天明3年10月8日
 憎っくき仇は誰か?
 討ったもの、冨吉
 討たれたもの、甚内
 大田南畝

どう訳すとこうなるのかわかりませんが、、、
南畝がこの碑文を書いたのは事件の30数年後の文化期でした。
この頃になると無届出の仇討ちは禁止されているのはもちろん、美化することもご法度。
南畝はお寺から碑文を頼まれたが、自分も幕府の役人だし、
どうしたものかと考え、なかなか解らない文にしたといいます。
南畝自身が説明して初めて意味がわかったとも。
お寺のほうでも観光客は欲しいが、お縄になる訳にはいかないし、近くの金剛寺坂上に住んでいた当代一の文人、天才南畝先生に頼んだのでしょう。

寺内公園

寺内公園
寺内公園

この辺りは、もと行元寺の境内なので、通称「寺内」(じない)と呼ばれました。「寺内」は神楽坂の花街となり、柳家金語楼、勝新太郎などの有名人も住んだところです。
「寺内」には寺内公園があり、ここに行元寺があったことを伝えていますが、仇討ちがあったことはいっていません。
何処かに隠語が隠されているのか?( ̄^ ̄ )う〜ん

神楽坂で仇討ちがあったなんて意外ですね。

寺内公園の由来
寺内公園の由来

意外な歴史の神楽坂四部作

神楽坂と光照寺(牛込城跡)
神楽坂と仇討ち事件
神楽坂と漱石先生
神楽坂のオシャレな坂たち

神楽坂と漱石先生

夏目漱石先生は新宿区喜久井町の夏目坂の出身で、晩年の約10年間(明治40年(1907年)〜大正5年(1916年))も実家近くの新宿区弁天町に住み、「三四郎」「それから」「こころ」といった代表作を執筆しました。

晩年に住んだ家の敷地の一部が漱石公園、漱石山房として一般公開されています。
弁天町から神楽坂は一本道。弁天町の漱石山房から神楽坂は漱石先生にとっては、ちょうど良い距離の散歩コースで買物といえばもっぱら神楽坂だったようです。

漱石公園
漱石公園
再現された漱石山房
再現された漱石山房のベランダ
ベランダでくつろぐ漱石先生
ベランダでくつろぐ漱石先生の写真が窓に貼ってあります。

漱石山房にて

藁店の「和良店亭」

漱石先生は神楽坂、地蔵坂の藁店(わらだな)にある寄席「和良店亭」に通って、落語を楽しんでいたといいます。

地蔵坂(藁店)
神楽坂のメインストリートから登っていく地蔵坂

藁店という地名は藁を売っていたお店(燃料店)があったのでそう呼ばれ、藁店にある寄席「和良店亭」って全部「笑う」の「わら」に掛かっていてイキです。(笑)
当時、神楽坂には寄席が5店もあったといいます。

神楽坂から藁店に入るところに文房具店「相馬屋」があり、漱石先生はいつもここで原稿用紙などを買っていて、お得意さんだったようです。尾崎紅葉先生も贔屓にしていたとのこと。

相馬屋
相馬屋

小説「それから」のヒロイン、三千代とは?

漱石先生の旧居、漱石山房から神楽坂へ行く途中に宗柏寺というお寺があります。

宗柏寺
明治の面影はないが近代美のある宗柏寺

明治の頃、このお寺の隣に鰹節屋があり、その鰹節屋のおかみさんが漱石先生のお気に入りだったと。。。
日記に度々、このおかみさんが登場します。

明治42年3月14日(日)
 今日も曇。きのふ鰹節屋の御神さんが新らしい半襟と新らしい羽織を着てゐた。派手に見えた。歌麿のかいた女はくすんだ色をして居る方が感じが好い。

歌麿が出てくる感想にセンスを感じます。。。

4月2日(金)
 散歩の時鰹節屋の御神さんの後ろ姿を久振に見る。

どうも気になるご様子。。。

4月3日(土)
 鈴木禎次曰く。夏目は鰹節屋に惚れる位だから屹度長生をすると。長生をしなくても惚れたものは惚れたのである。

鈴木氏は夏目家の親戚で漱石先生の健康を気遣ってこう言ったのでしょうか。
「惚れたものは惚れた」と開放的ですらあります。

そして鈴木氏宛の書簡にも、、、

今日散歩の帰りに鰹節屋を見たら亭主と覚しきもの妙なる顔をして小生を眺め居候。果たして然らば甚だ気の毒の感を起こし候。其顔に何だか憐れ有之候。定めて女房に惚れてゐる事と存じ是からは御神さんを余り見ぬ事に取極め申候。

手紙に書くほど気になるご様子。。。

いつも遠くから見ているだけだったが、旦那に睨まれ、おかみさんを余り見ないことにしたと。
「余り見ぬ」というところが漱石先生らしい。チラッとは見たいらしい。

漱石先生のエピソードにはいつも気負いが無く、天才なのに人間味があってホッとします。

古地図:明治後期の地図(漱石山房)と宗柏寺
明治後期の地図(矢印が漱石山房)と右上に宗柏寺。鰹節屋がどこだったかは、今となってわかりませんが。

小説「それから」は、親友の妻に恋してしまい、親友との仲も切れてしまうという問題作。

日記の内容からして、「それから」のヒロイン、三千代のモデルは、鰹節屋のおかみさんではないかと言われています。
並外れた妄想力に脱帽してしまいます。
鰹節屋の亭主はたいへんな役回りを背負わされてしまったということでしょうか 。

「それから」の三千代の描写はというと、、、

色の白い割に髪の黒い、細面に眉毛のはっきり映る女である。一寸見ると何所となく寂しい感じの起こる所が、古版の浮世絵に似ている
三千代は美しい線を綺麗に重ねた鮮やかな二重瞼をもってゐる。眼の格好は細長い方であるが、瞳を据えて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。

やはり、「浮世絵に似ている」でバレてますね。
さぞかし鰹節屋のおかみさんはキレイな方だったのでしょうね。

漱石先生は出不精だったようで、遠くまで行って取材するということはありませんでした。
なので私のランニングコースと漱石先生の行動範囲は、かぶることが多く、近所の坂道、橋など作品の中に、頻繁に登場させてくれます。
それにしても明治の人はよく歩いたものだと思うこともあります。「都電に乗って」という描写が出てくると付いていけませんが。

漱石先生は私にコースを教えてくれるランの先生でもありますわ (*’ヮ’*)。

古写真:明治の神楽坂
古写真:明治の神楽坂
漱石の散歩道
漱石公園にあった漱石散歩道コース

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