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小日向本法寺の几号水準点

本法寺の桃
本法寺の桃

本法寺の源平桃の蕾夏目漱石の夏目家のお墓があるお寺です(漱石先生のお墓は雑司が谷霊園)。

春になると桃が咲いて梅や桜とは一味違う甘く豊かな華やかさがあります。境内に漱石先生の歌碑がひっそりとあり、

「梅の花 不肖なれども 梅の花」

明治29年、松山からお見合いをするために上京したとき、亡き母のお墓参りに立ち寄って詠んだ歌です。漱石先生、ここは桃の名所で梅ではありませんよ!とツッコミたくもなりますが、明治のころは今よりも梅がたくさん咲いていたのでしょうか?

本法寺の梅「不肖なれども」はいまだに地方にいる自分のことを言っていると云います。
この句に対して、漱石先生の俳句の師である高浜虚子の評価は○(◎でない)。親友であり、俳句の先生でもあった正岡子規先生は「ドツチカ梅ノ花ヲ一ツニシタラヨカロ」とそっけないもの 。漱石先生の本職は俳句ではないのでこれはこれでいいと思います。
そこはかとなく好きです。

夏目漱石の歌碑

さて、几号水準点は、本殿に向かって右側の家屋前、防火用水鉢が置かれていた台座に刻まれてます。

几号水準点って何?を参照

新宿区市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮の几号水準点
防火用の水盆が乗っていた台座に几号水準点。
公的資料:地理局雑報にある記載
小日向水道端本法寺鐵水鉢臺石  9.5667m

入口の山門あたりから移転されたとのことです。
明治の地図を見ると、なるほど、ずいぶんと建物のレイアウトが変わってます。漱石先生が詠んだ梅があったのも納得できます。

本法寺地図
古地図:明治16年(1883年)測量明治19年(1886年)製版5千分の1陸軍参謀本部測量より門前に水鉢(クリックで拡大)。
古地図:明治20年(1887年)東京実測図より本法寺に几号31.5尺の表示。
古地図:明治20年(1887年)東京実測図より本法寺に几号と31.5尺の表示(クリックで拡大)。

小日向の几号水準点本法寺の几号水準点を訪れたら近くの不思議な傷のある几号を訪れるといいでしょう。

撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。

神楽坂毘沙門天の几号水準点

活気にあふれる神楽坂の中心部、善国寺毘沙門天。毘沙門天が寅年、寅の月、寅の日に初めてこの世に姿を現したとされる古事に因んで、狛犬ならぬ、狛トラ?
狛トラではなく石虎です。

神楽坂毘沙門天の几号水準点

毘沙門天の石虎吽形
毘沙門天の石虎(吽形)

社殿に向かって左側の吽行のほうは空襲でだいぶ損傷してしまったようですが、まだまだ現役です。

善国寺は、徳川家康の命をうけて、日惺上人(にっせいしょうにん)が麹町六丁目に文禄4年(1595)創建。火事による類焼を経て、寛政5年(1793)この地へ移転したといいます。
毘沙門天は、加藤清正の守本尊だったとも、土中より出現したともいわれています。

毘沙門天は、色々な呼び名を持つ神様です。
四天王の一尊に数えられる武神であり、多聞天とも呼ばれ、財宝や福徳を与える七福神の一神でもあります。

毘沙門天と多聞天の区分は、日本では一般的に四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」で、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶそうです。

多聞天というと全てを聞いてくれそうなやさしいイメージ、毘沙門天というと武人のイメージがついてきます。ややこしいです。

阿吽一対の石虎像の阿形の台座(本殿に向かって右側)に几号水準点があります。

公的資料:地理局雑報にある
牛込神楽坂善国寺毘沙門堂虎石臺 18.7644m

几号水準点って何?を参照

説明板にも几号水準点のことが書いてあります。これを初めて読んだとき、なるほどと思い、几号水準点探しのきっかけになるのでした。

善国寺石虎の説明板
善国寺石虎の説明板に几号の説明もあります(クリックで拡大)。

北の方角から神楽坂まで見ると、かなり急な相生坂赤城坂を登ってくることになります。ここは高台で明治の頃は高いビルもなく相当、見渡しがきいたのでしょう。

古地図で見ると、

古地図:明治20年(1887年)東京実測図より赤矢印毘沙門天虎石、青矢印牛込御門の几号水準点。
古地図:明治20年(1887年)東京実測図より赤矢印毘沙門天虎石、青矢印牛込御門の几号水準点(クリックで拡大)。

善国寺赤矢印のところに61.9尺(18.7644m)の記載があり、青矢印は牛込御門石垣の几号水準点で、日比谷公園に移転された亀石と云われています。

社殿が再建され、石虎の位置は若干、動いています。

神楽坂は歴史がいっぱいです。以下をご参照ください。

撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。