「几号水準点を求めて」カテゴリーアーカイブ

千石路傍の几号

文京区白山3丁目37(旧大原町)路傍の几号水準点

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これは、水平刻印なので、正確には几号水準点ではなく、
三角測点「巣鴨」の付属予備点です。
資料には三角測点「巣鴨」の位置は「小石川区巣鴨駕籠町道路」と書かれています。

古地図:明治20年(1887年)東京実測図より千石の几号の位置
古地図:明治20年(1887年)東京実測図より千石の几号の位置。

几号水準点って何?を参照

伊勢五米店

伊勢五米店
伊勢五米店

几号も古い測量遺産ですが、几号の近くにある「伊勢五米店」のほうに興味が。

このお米屋さん、300年以上前から続いているけど、古すぎて創業年はいつだかわからないという、国の登録有形文化財です。
初代の伊勢屋五郎右衛門からとって「伊勢五」という屋号、主屋は明治初期の建設、蔵は土蔵づくりの二階建てで大正十二年頃の建築です。

撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。

江戸城天守台の几号水準点

江戸城天守台は皇居東御苑内で九段坂方面の北桔橋門(きたはねばしもん)から入ると近く、天守台石垣にも几号水準点が刻まれています。

北東隅の最下段にこじんまりとあります。

北桔橋門
北桔橋門
江戸城天守台
北東隅の石垣最下段に几号水準点があります。

江戸城天守台の几号水準点

これだけ大きな石造物なら、撤去される心配はありません。この几号水準点は末長く残るでしょう。

几号水準点って何?を参照

天守台に登ると

江戸城天守台案内板
江戸城天守台案内板(クリックで拡大)。

天守台中段に説明板があり、松の廊下の位置、大奥の位置など上から把握できます。長年、大奥の場所が知りたかったんですが今は芝生の広場になっています。

大奥跡
大奥跡。
明暦新添江戸の図(1657年)
明暦新添江戸の図(1657年)(クリックで拡大)。

明暦の大火前の天守、江戸城内が描かれた切絵図です。芸術でもあります。

明治の地図でみると

明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より天守台
明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より天守台。

この几号水準点を使った測量点と20,39メートルの記載があります。天守台に測候所とあり、当時は気象観測をしていたとわかります。

古地図:明治20年(1887年)東京実測図より天守台
古地図:明治20年(1887年)東京実測図より天守台の几号水準点。67.3尺(約20.39m)の表記(クリックで拡大)。

北桔橋門を見ると江戸城の他の門のように枡形門になっていません。明治初期から枡形は廃止されています。
なぜでしょう?古写真をみるとわかります。

北桔橋門枡形の様子
北桔橋門枡形の様子。

北桔橋門の内側を撮った古写真ですが、維新後の荒廃した江戸城として、度々、取り上げられる写真です。辺りは雑草が茂り、屋根に草生えwww、壁も崩れかかってます。なのでここは早くに取り壊されたのでしょう。
それにしてもわざとらしいモデルの武士たちです。

古写真:天守台
古写真:天守台

天守台もそうとう荒廃しています。手前の小屋は番所のようです。

江戸城天守台の几号水準点(A
拡大すると正確な位置がわかり、クリックするとリンクがありますのでそれぞれのページに詳しい情報があります。

撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。