「東京の坂道(新宿区)」カテゴリーアーカイブ

神楽坂と漱石先生


夏目漱石先生は新宿区喜久井町の夏目坂の出身で、晩年の約10年間(明治40年(1907年)〜大正5年(1916年))も実家近くの新宿区弁天町に住み、「三四郎」「それから」「こころ」といった代表作を執筆しました。

晩年に住んだ家の敷地の一部が漱石公園、漱石山房として一般公開されています。
弁天町から神楽坂は一本道。弁天町の漱石山房から神楽坂は漱石先生にとっては、ちょうど良い距離の散歩コースで買物といえばもっぱら神楽坂だったようです。

漱石公園
漱石公園
再現された漱石山房
再現された漱石山房のベランダ
ベランダでくつろぐ漱石先生
ベランダでくつろぐ漱石先生の写真が窓に貼ってあります。

漱石山房にて

藁店の「和良店亭」

漱石先生は神楽坂、地蔵坂の藁店(わらだな)にある寄席「和良店亭」に通って、落語を楽しんでいたといいます。

地蔵坂(藁店)
神楽坂のメインストリートから登っていく地蔵坂

藁店という地名は藁を売っていたお店(燃料店)があったのでそう呼ばれ、藁店にある寄席「和良店亭」って全部「笑う」の「わら」に掛かっていてイキです。(笑)
当時、神楽坂には寄席が5店もあったといいます。

神楽坂から藁店に入るところに文房具店「相馬屋」があり、漱石先生はいつもここで原稿用紙などを買っていて、お得意さんだったようです。尾崎紅葉先生も贔屓にしていたとのこと。

相馬屋
相馬屋

小説「それから」のヒロイン、三千代とは?

漱石先生の旧居、漱石山房から神楽坂へ行く途中に宗柏寺というお寺があります。

宗柏寺
明治の面影はないが近代美のある宗柏寺

明治の頃、このお寺の隣に鰹節屋があり、その鰹節屋のおかみさんが漱石先生のお気に入りだったと。。。
日記に度々、このおかみさんが登場します。

明治42年3月14日(日)
 今日も曇。きのふ鰹節屋の御神さんが新らしい半襟と新らしい羽織を着てゐた。派手に見えた。歌麿のかいた女はくすんだ色をして居る方が感じが好い。

歌麿が出てくる感想にセンスを感じます。。。

4月2日(金)
 散歩の時鰹節屋の御神さんの後ろ姿を久振に見る。

どうも気になるご様子。。。

4月3日(土)
 鈴木禎次曰く。夏目は鰹節屋に惚れる位だから屹度長生をすると。長生をしなくても惚れたものは惚れたのである。

鈴木氏は夏目家の親戚で漱石先生の健康を気遣ってこう言ったのでしょうか。
「惚れたものは惚れた」と開放的ですらあります。

そして鈴木氏宛の書簡にも、、、

今日散歩の帰りに鰹節屋を見たら亭主と覚しきもの妙なる顔をして小生を眺め居候。果たして然らば甚だ気の毒の感を起こし候。其顔に何だか憐れ有之候。定めて女房に惚れてゐる事と存じ是からは御神さんを余り見ぬ事に取極め申候。

手紙に書くほど気になるご様子。。。

いつも遠くから見ているだけだったが、旦那に睨まれ、おかみさんを余り見ないことにしたと。
「余り見ぬ」というところが漱石先生らしい。チラッとは見たいらしい。

漱石先生のエピソードにはいつも気負いが無く、天才なのに人間味があってホッとします。

古地図:明治後期の地図(漱石山房)と宗柏寺
明治後期の地図(矢印が漱石山房)と右上に宗柏寺。鰹節屋がどこだったかは、今となってわかりませんが。

小説「それから」は、親友の妻に恋してしまい、親友との仲も切れてしまうという問題作。

日記の内容からして、「それから」のヒロイン、三千代のモデルは、鰹節屋のおかみさんではないかと言われています。
並外れた妄想力に脱帽してしまいます。
鰹節屋の亭主はたいへんな役回りを背負わされてしまったということでしょうか 。

「それから」の三千代の描写はというと、、、

色の白い割に髪の黒い、細面に眉毛のはっきり映る女である。一寸見ると何所となく寂しい感じの起こる所が、古版の浮世絵に似ている
三千代は美しい線を綺麗に重ねた鮮やかな二重瞼をもってゐる。眼の格好は細長い方であるが、瞳を据えて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。

やはり、「浮世絵に似ている」でバレてますね。
さぞかし鰹節屋のおかみさんはキレイな方だったのでしょうね。

漱石先生は出不精だったようで、遠くまで行って取材するということはありませんでした。
なので私のランニングコースと漱石先生の行動範囲は、かぶることが多く、近所の坂道、橋など作品の中に、頻繁に登場させてくれます。
それにしても明治の人はよく歩いたものだと思うこともあります。「都電に乗って」という描写が出てくると付いていけませんが。

漱石先生は私にコースを教えてくれるランの先生でもありますわ (*’ヮ’*)。

古写真:明治の神楽坂
古写真:明治の神楽坂
漱石の散歩道
漱石公園にあった漱石散歩道コース

意外な歴史の神楽坂四部作

神楽坂と光照寺(牛込城跡)
神楽坂と仇討ち事件
神楽坂と漱石先生
神楽坂のオシャレな坂たち


神楽坂のオシャレな坂たち


神楽坂からは大小様々な坂が延びています。坂道だらけの神楽坂ですがオシャレな坂が多く、TVドラマ「拝啓、父上様」の反響も大きく観光の目玉にもなっています。

フランス坂

坂下に銭湯熱海湯があったので熱海湯坂と呼ばれていましたが、「拝啓、父上様」でヒロインの「リンゴの君」がリンゴを落としてから一躍有名になり、今風にフランス坂とか、リンゴの坂と呼ばれています。
この辺りは日仏学院が近いのでフランスの方が多く住んでいます。
日仏学院も今はアンスティチュ・フランセ東京というらしい。
すごく言いづらいっす (≧∇≦)。
フランス坂、リンゴの坂の他に、坂下に銭湯「熱海湯」あるので熱海湯階段、熱海湯坂、一番湯の路地、カラン坂(芸者さんの下駄の音orタライの中で鳴る石鹸の音)などの別名があります。

フランス坂
フランス坂
入母屋造りの銭湯「熱海湯」
入母屋造りの銭湯「熱海湯」

無名の坂

「拝啓、父上様」で、おかみさんが猫に餌をあげていた坂です。坂下は熱海湯のコインランドリーで、ここで主人公の一平君は洗濯をしていました。
無名の坂ですが、オラは勝手にコインランドリーの坂と呼んでいます。坂を登るとアグネスホテル。倉本聰氏が宿泊して、この物語を書いていたホテルです。

アグネスホテルから降りてくる無名の坂
アグネスホテルから降りてくる無名の坂

クランク坂

「拝啓、父上様」では坂下の空地に料亭の車が停めてあり、ここから築地へ通っている設定でした。写真左側のところ、今は駐車できる空地はなく、モダンなお店ができています。
神楽坂エリアは複雑な地形でどこもクランクだらけですがここだけをクランク坂といっています。

クランク坂
クランク坂

袖摺坂

「拝啓、父上様」の中で一平君と彼女が、狭そうに肩を寄せて登っています。
それもそのはず、上り下りする人の袖が摺り合うので袖摺坂
暗い過去もありそうですが、江戸時代からの古い坂です。

袖摺坂
袖摺坂

瓢箪坂

ひょうたんのシルエットのようにクネックネッと曲がっているので瓢箪坂といいますが、感覚的にそんなに曲がってないように感じます。
近辺に瓢箪がなっていたとする説のほうがシックリします。

瓢箪坂
瓢箪坂

駒坂

こんな小さな坂ですがちゃんと名前があり「駒坂」。瓢箪坂と繋がるので「ひょうたんから駒」ということで駒坂といいます。このカーブと手すりが欧米かっ、というくらいオシャレです。
これでもれっきとした区道なんです。
いつ見ても観光客と思しきご老人が降りてきますが、神楽坂観光コースでは下りるような道順になっているのでしょうか?

駒坂
駒坂
駒坂(坂上より)
駒坂(坂上より)

兵庫横丁の坂

新宿区まちなみ景観賞も受賞している情緒のある兵庫横丁
横丁内のレトロな旅館「和可菜」は、寺山修二氏、野坂昭如氏、山田洋次氏、早坂暁氏、倉本聰氏などが滞在し、数々の名作を誕生させました。
静かな場所なので、近くの出版社が、早く仕事しろとカンズメにしていたと思われます (≧∇≦)。

兵庫横丁の坂
兵庫横丁の坂
兵庫横丁(和可菜)
兵庫横丁(和可菜)

軽子坂

神楽坂と平行して登る坂で神楽坂が商業の坂なら、軽子坂は運輸の坂です。
江戸名所図会にも描かれていて、お堀端にある揚場(船荷を陸揚げする場所)から伸びています。
軽子とは軽籠持、運送人夫のことで、そういえば、神楽坂より緩く登りやすい坂です。
坂上から左(西側)に折れれば神楽坂です。神楽坂の雑踏をさけたいときはこちらを登るといいでしょう。

軽子坂

軽子坂

江戸名所図会(神楽坂と軽子坂)
江戸名所図会(神楽坂と軽子坂)

この坂は神楽坂よりもずっと古い坂で古鎌倉街道ではないかという研究者もいます。
街道監視のための牛込城の出城が筑土八幡にあったという人もいます。筑土八幡の崖を見ると納得してしまう説です。

庚嶺坂(ゆれいざか)

江戸初期の頃この辺りに梅林があり、将軍秀忠公が中国の梅の名所「大庚嶺」に因んで命名したとか。
幽霊坂、若宮坂、行人坂、祐玄坂、祐念坂、唯念坂、新坂と、別名が多すぎ!
坂別名コンテストがあれば優勝します。
お江戸の頃は芥坂のようなゴミ坂だった可能性大ですが、坂の景観はグットです。

庚嶺坂(ゆれいざか)
庚嶺坂(ゆれいざか)

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