市谷亀ヶ岡八幡

新宿区市谷亀ヶ岡八幡宮の几号水準点の謎


鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮に対抗して、亀ヶ岡。江戸っ子は洒落好きです。この石段坂、傍に茶ノ木稲荷神社が見え、キツイながらも情緒があります。

亀ヶ岡八幡は太田道灌が文明11年(1479年)、鎌倉の鶴岡八幡宮の分祀したのが始まり。最初は市ヶ谷御門内、つまりお堀の内側の方にあったといいます。寛永の頃(1630年代)外堀の完成にあたり当地に移ってきました。

三代将軍家光公、五代綱吉公の生母、桂昌院さまの庇護を受け、門前、境内ともたいそうな賑わいだったいいます。
いまでも亀ヶ岡の亀ー動物繋がりーペット繋がりで、ペットの七五三をしてくれる八幡さまとして有名です。

新宿区市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮の几号水準点

几号水準点は本殿右手の手水鉢台の左下にありました。
めっちゃ目立たないところにありますがそれが幸いして保存状態良好です。
こりゃ、目立たないので見つけるのに難儀しましたが、どうもおかしい?目立たなさ過ぎだし、几号水準点が本殿向きで見通しが効かない。
これも靖国神社の几号水準点のように移設の可能性があります。

几号水準点とは

新宿区市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮の几号水準点

明治の地図をみると、、、

明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮
明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮

(D)が亀ヶ岡八幡宮です。市ヶ谷御門に標高18.23メートルの測量点(A)があります。これは石垣に刻まれたもので、移転、保存されています。
日比谷公園の烏帽子石として有名なものです。
(地図オタに有名なだけm(_ _)m)

市ヶ谷御門から移設された日比谷公園の烏帽子石
市ヶ谷御門から移設された日比谷公園の烏帽子石

お堀の向こうに小川が流れていて、その橋のあたりに測量点(B)(C)があります。
橋に几号水準点がある場合は橋の欄干に刻まれることが多いです。小川が暗渠になり橋も撤去されているのでホープレス (T-T)です。
しかしながら、赤矢印の小川の上に点々とある何か被せたような表記はなんでしょう?気になります。

江戸名所図会をみると、、、

亀ヶ岡八幡宮はお江戸の頃から名所で江戸時代の観光ガイド「江戸名所図会」にも描かれています。
これをみると、うwwww!小川の上に茶屋があります!半暗渠ですね。これがほんとの水茶屋じゃ (≧∇≦)。

江戸名所図会(市谷亀ヶ岡八幡宮門前部分)
江戸名所図会(市谷亀ヶ岡八幡宮門前部分)

こりゃあ〜粋ですねえ(*´∀`*)。夏は涼しそうです。天然クーラーですか (≧∇≦)
川に木橋を渡し幕府から営業を許されていたそうです。
今は外堀通りに車が溢れていますが、明治初期までこんな風物詩が残っていたとは。

橋を渡り総門を入って行くと、また、うwwww!手水鉢らしきものが描かれているではないですかあ(^o^)/

これかもしれない!と喜び、絵全体をみると、、、

江戸名所図会(市谷亀ヶ岡八幡宮全体)
江戸名所図会(市谷亀ヶ岡八幡宮全体)クリックで拡大。

(T-T)いまあるところにも手水鉢らしきものが描かれていました。

気をとりもどし境内を見ると、うwwww!右側に「芝居」とあり、芝居小屋!小屋の前には旗が立ってますね〜。左ページには、うwwww!「土弓」。
なんだかこの頃の寺社ってテーマパークっぽいです。

市谷八幡神社(明治東京名所図絵)
市谷八幡神社(明治東京名所図絵より)。門前に水路があります。クリックで拡大

明治時代の東京名所図絵をみても鳥居の向こうに手水鉢があり、境内の今と同じ位置にもあります。う〜ん(ー’`ー ; )。

古写真を探すと、、、

古写真:市ヶ谷八幡手水鉢

やはり、手水鉢が二つありました。上の方が「宝暦七年奉納、越前屋吉兵衛」。下の方は「文久元年奉献、藤原正邦 敬奉」とあります。上の方の手水鉢で間違い無いのですが、肝心の手水鉢の台が無いような(?_?)
う〜、判断しかねます。疑わしきは罰せずです。

ちょっと気になる
茶ノ木稲荷神社

茶ノ木稲荷神社
茶ノ木稲荷神社

亀ヶ岡八幡の石段を登らず、左側の急坂を登ると、江戸名所図会にも描かれている「茶ノ木稲荷神社」があります。

眼病平癒、病気平癒に特別なご利益があるといわれています。古来からお茶を断つという習俗があり、断って願えば霊験あらたかであったといいます。

江戸黒歴史的に考えると、市ヶ谷亀ヶ岡八幡宮の門前は岡場所(幕府非公認の娼婦街)として知られていました。何度か禁止令が出され廃止されたと公的には言っていますが、江戸名所図会の賑わいをみる限り、こっそり商売をしていた、もしくは幕府は黙認していたと思われます。
大日坂の項で出てきた桜木町の岡場所は大日堂手前、神楽坂の岡場所も赤城神社行元寺周辺です(大日堂はギャンブルにも関係しています)。
この頃は人の集まる寺社と色街は密接な関係にあり、若旦那が「ちょっとお参りいってくらぁ〜」と言って、表向きは信心深いお人の顔をして、遊んでくるのが一般的でした。
まっ、どこへ行くかはわかっていたのでしょうが (≧∇≦)。

そのようなわけで岡場所近くの病気平癒の神様は「性病」に関係していると私は推察します。

漫画「JIN-仁-」で、仁先生はお茶のカテキンは殺菌作用があると言って使っています。
茶ノ木稲荷は「お茶を断つ」?
そっそっか、仁先生は未来から来たんだっけ (,, ゚Д゚)

医療の発達していない江戸時代、ひどい病気になっても神様に頼るしかなかったわけです。
寺社は流行るわけですわ。


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