文京区小石川宗慶寺

文京区小石川宗慶寺極楽水碑の几号水準点


文京区小石川宗慶寺極楽水碑の几号水準点

なんだかなあ〜、極楽水碑の下部に刻まれているはずの几号水準点が埋まってます (T-T)。
なので地図マニアのツワモノが発掘した画像をインサート。

宗慶寺は、常陸国の了誉聖冏上人(りょうよしょうけいしょうにん)が応永22年(1415)小石川の清泉のほとりに庵をむすび、伝通院と呼んでいました。この清泉は名水のため、極楽水、極楽の井とよばれ、付近一帯の地名にもなったといいます。

その後、徳川家康の生母お大の方が現在の伝通院の場所に葬られ、了誉聖冏の開いた庵を移し「伝通院」とした。
元和7年(1621)松平忠輝の母(家康の側室)の墓所となり、法名にちなみ吉水山朝覚院宗慶寺と称するようになった。

なるほどぉ、葵の御紋が付いてて格式あるし、伝通院とも関係が深い立派なお寺ですね。

極楽水宗慶寺(江戸名所図会より)
極楽水宗慶寺(江戸名所図会より)今とずいぶんと趣が違います。門から入って右側に極楽水があります。

このお寺、極楽水碑も後述の播磨坂の開削によって吹上坂の方に少しだけ移転しています。

因みに極楽水碑は今の場所より100m南西のところから移設されたものです。
現在そこにはマンションが建っていますが、極楽水がみれるということなので、清泉を見に行くことに。

几号水準点とは

極楽水はあったけど、

吹上坂に面する小さな公園から入るとマンション裏に出れます。
グーグルマップを参照ください。
ありましたぁ!極楽水!

極楽水説明板

現在の極楽水
現在のペラペラな極楽水碑?

ここはご近所の七福神巡りコースの一つになっていて「弁天様」にはお客さんがたくさんいました。

でも、だ〜れも極楽水には興味なし(*’д’*)。
だって井戸が枯れてます (T-T)。
また、なんだかなあ〜です。

極楽水(弁天様)
枯れてる極楽水

この辺りは江戸時代、湿地帯でその証拠として、「吹上坂」という坂の名は水が吹き上げていたので、というくらいです。湿地であるがため、田んぼが多いのが下の切絵図でもみてとれます。
今は治水がしっかりしているということでしょう。面影が全くないです。

播磨坂 吹上坂

湿地帯の名残り?として「播磨坂」には流水施設があります。昭和になって元の松平播磨守の屋敷跡を突っ切って開削された坂です。ここでも電動ポンプで水を循環させているだけで湿地ではないですね。

播磨坂の流水施設
播磨坂の流水施設
嘉永七年(1854年)尾張屋刊 江戸切絵図
嘉永七年(1854年)尾張屋刊 江戸切絵図

切絵図にも極楽水と井戸マークの表記があります。

漱石先生がいう極楽水

時代は明治になって、極楽水周辺は「いやに陰気なところである」と夏目漱石先生が小説に書いています。両側に貧民長屋が建ち並び、それらに全く活気がないと。
死んでいるとまで言っています(;  ̄ェ ̄)。そこまで言う、、、
湿地で活気も無ければ暗いですよねえ。
今は立派なマンションが建ち、整備されたきれいな庭になっていますよ。漱石先生!

【悲報】極楽水碑が工事中?!

2015年1月2日、もう一度、訪問したとき、極楽水碑が倒されている〜!(*’д’*)どうやらお堂を改修中で入口の極楽水碑が邪魔で一時的に移動されているようです。再度建てるときは几号が見えるように建ててほしいものです。願っています。

倒れてる極楽水碑
倒れてる極楽水碑

【続報】極楽水碑まだ立たず

2015年1月10日、やっぱなあ〜、極楽水碑があったところにトラックが入ってます。いっそのこと極楽水の位置に戻してしまうのはどうか、と思うのは地図オタのわたしだけでしょうか。

宗慶寺(20150110)

【続悲報】極楽水碑は立ったけどぉ

2015年9月、久しぶりに吹上坂を走る。。。ヘ(; ・・)ノ。
極楽水碑はお寺の元の位置に立っていました。が、しかし、コンクリで埋められて几号が見えない(p_q、)。
まぁ、今後、長い間、この碑は残り几号も残ると解釈しております。いつか碑が抜かれて、几号がタイムマシンのように現れると期待して。

極楽水碑


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