コクリコ坂から

文京区のコクリコ坂

これといった事件もなく、いつものように暇を持て余す坂道探偵社。映画でも観るかと選んだのが、ジブリの「コクリコ坂から」。「坂の上の雲」など、坂とタイトルに入っているだけで気になるのです。

コクリコ坂から

「コクリコ坂から」は横浜の港町が舞台。船長であった亡き父のために、坂上の家から海に向かって、毎日、旗を掲げる少女の青春ストーリー。学生たちの悲恋からぁのぉ〜ハッピーエンドで泣けるぅ〜ヽ( T∀T)ノ

だけれども、コクリコ坂は文京区にあると云う 、、、
えっ(°Д°)。海のない文京区に?そっそんなぁ?調査開始!

コクリコ坂

コクリコの看板文京区のこの坂、筑波大学付属中学校・高等学校の前を通るので付属横坂って呼ばれていたのですが、坂下にレストラン「コクリコ」があり、最近では、コクリコ坂と呼ばれています
(Coquelicot : ひなげしの意味)。

えー(´゚д゚`)、どう考えても映画の坂のモデルとしては程遠い。
しかしながら調べてみると、映画「コクリコ坂から」には、原作となった漫画があり、音羽の出版社(講談社)から出版されました。その漫画の打ち合わせのために、当時、増築前の喫茶店「コクリコ」がよく使われていたそうです。

漫画コクリコ坂から

80年代の漫画なので、手に入れることが出来ませんでしたが、表紙を見る限りでは、ジブリとは、だいぶ雰囲気がちがいますね。てなわけで、ジブリで坂道を検証してみたいと思います。

映画「コクリコ坂から」の坂道

昭和30年代後半と思われる映画のシーン。坂の石垣は明らかに大谷石で昭和の積み方です。

コクリコ坂からの坂道

どこにでもある坂道の風景。文京区のコクリコ坂にも大谷石はあります。

コクリコ坂の大谷石
コクリコ坂の石積み

そして、海側、私の大好きなガードレールはというと。。。
これは明治後期のデザインです。
文京区のコクリコ坂は近代の設置で違いますが、御茶ノ水坂のものによく似ています。映画に出てくるパイプに緑のペイントは後のものと考えられます。

明治後期のガードレール
明治後期のガードレール(御茶ノ水坂)

因みに戦後のデザインはというと、、、

淡路坂上のガードレール
淡路坂上のガードレール

これは、御茶ノ水駅千代田区側、淡路坂のもの。
デザインがシャープになり、鉄パイプも加工技術が上がり、綺麗な円弧を描いています(*´∀`*)。そして錆びにくくなっています。

文京区のコクリコ坂

そして、文京区のコクリコ坂の特徴を古い地図でみると、、、

古地図:陸軍兵器支廠を貫くコクリコ坂。
陸軍兵器支廠を貫くコクリコ坂。

なんと、陸軍の施設、兵器支廠(へいきししょう)があったところを戦後に貫いています。兵器支廠とは兵器・弾薬・機材などの補給を担当した部署。後に大塚弾薬庫に改変される鼠坂の項にも登場した施設です。兵器支廠は台地の上にかつて存在していて、コクリコ坂は台地の上から、なるべく緩やかな高低差になるように開削されています。

また、面白いことに、大戦直前の地図では土塁は描かれているものの、空地のような表記になっていますねぇ。
軍による情報隠しの操作です。

古地図:改変で大塚弾薬庫となる兵器支廠
改変で大塚弾薬庫となる兵器支廠。大戦前、建物の表記が消えています。

このことは東京砲兵工廠があった後楽園周辺でも言えます。

古地図:後楽園周辺の砲兵工廠
後楽園周辺の砲兵工廠。大正期と昭和戦前。やはり、大戦前に建物の表記が消えています。

戦後、開削されたコクリコ坂。
ということは、軍のなんらかの痕跡があるのではないか?
そんな目でみると、、、

擁壁の跡これは、戦後の道なので異人坂元町公園脇の坂のような防空壕跡とは思えませんが、地下施設などの穴を埋めたため、この部分だけ地質が違い、水分浸透性に差があり、こんな跡が出来たのかと想像できます。そしてこれは、、、

換気塔

なんでしょう?換気孔?よじ登って調べたくなる物件です。
と、課題を残しつつ、坂道探偵社に帰ると、相棒のワトソ子君からメッセが届いています。

陸軍の塀と石

「坂道社長!(一人しかいないので社長)、音羽川暗渠を走るの項で、見逃したものがございますわ。」
「えっ(*’д’*)?なになに?」
「陸軍の遺構です。」
「ええええーーー!」
ワトソ子君曰く、コクリコ坂近くは陸軍遺構の宝庫。
コクリコ坂は坂下で音羽川暗渠道と交差しているのです。
翌日、二人は現地で待ち合わせ、調査を開始。

「坂道社長、この塀です、陸軍兵器支廠の擁壁」、、、

音羽川暗渠ルートの陸軍の擁壁
音羽川暗渠ルートの陸軍の擁壁

あれぇ〜?、古そうな塀だなと思ったんだけど、上部のフェンスは新しいので、近代のものかと。。。見逃していたようです。

なるほどぉ〜。
そして彼女は塀沿いの石を指し「陸軍軍境界石です」と言う。

陸軍軍境界石

また、あれぇ〜?文字が書いてないただの角柱石じゃないの?。

「社長、これは、古い資料を観ると確かに陸軍管轄地と書いてあったものですわ」
「え(*’д’*)、風化したのかなあ?」
「いいえ、人為的な工作でしょう。まだたくさんありそうです。探しましょう。」

と身長190cmはあろうワトソ子君はいつものように大きな歩幅で、そして、いつもより早歩きで歩き出した。
付いていく私はたまったものではありません。ゆるランのほうが楽なようなぁ〜(p_q、)。
しかしながら、
ひと度、目的が出来ると半端無い集中力のワトソ子君。
「ございますわ!けど文字はございません!」
え(*’д’*)。
「ございますわ!けど文字はございません!」
え(*’д’*)。
と何度、同じ会話を繰り返したでしょう。

御茶ノ水女子大学裏手の陸軍の擁壁
御茶ノ水女子大学裏手に残る陸軍の擁壁。
数々の陸軍軍境界石
数々の陸軍軍境界石

陸軍軍境界石新宿区の戸山公園近くで見た陸軍軍境界石は陸軍の文字がクッキリあったのに、ここで見つけたものは境界を示す十字マークはあるものの、全て、文字が消されています。
戦争の記憶は忘れてはならないとよく言いますが、どこかで忘れたい、隠したいと云う力が働いているようです。

「ワトソ子君、戦争の記憶は忘れてはならんのだよ。石は残る。だから私は石好きなんだよ。コクリコ坂周辺も軍の施設だった。そんな事を時々思い出してもいいんだよ。」

「そうですね、社長、、、では。」

ってぇ、ヽ(`Д´)ノ オイッ!、また、大股で去って行くワトソ子君。
なんとかならんかねぇ、そのスピード囧rz。

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