立爪坂の別名と歌川広重、スケッチの場所


立爪坂という名前で想像すると、子供のころ、ネコに引っ掻かれた思い出があるのでトラウマです。それはさて置き、江戸切絵図でみると妻恋稲荷(いまの妻恋神社)、三組丁の近くに「立爪サカ」とあります。

立爪坂(嘉永七年1854年尾張屋刊江戸切絵図より)
立爪坂(嘉永六年1853年尾張屋刊江戸切絵図より)

坂道説明板はなく、
文京区の本で調べると、、、

 爪先を立てて上る坂という意味でこの名称がある。もとはけわしい坂であったのだろう。また芥坂の名は,近くにゴミ捨て場があったためだろう。
 「ぶんきょうの坂道」より

芥坂(あくたざか)ってゴミ坂のことではないですか!急に興味が湧いてきました!

芥坂。明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より。
芥坂。明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より。

明治初期の地図では芥坂の表記で、片側が崖のようです。

文京区の本の「もとはけわしい坂であったのだろう」って?

立爪坂(坂上から)
立爪坂(坂上から)

この坂に行ってみると、
なるほどぉ〜、今は爪を立てるほど急ではありませんが。

江戸初期の地図でみると、、、

芥坂(寛文10-13年(1670-73))新版江戸大絵図より)
芥坂(寛文10-13年(1670-73))新版江戸大絵図より)

江戸初期は今のように階段、スロープ、階段ではなく、全部、階段だったようで、今よりも高低差があったと思われます。

ここに来てみて、ふと思ったのが、
この光景、どこかで見たような、、、?

妻恋ごみ坂の景 歌川広重
妻恋ごみ坂の景 歌川広重

そうです!新宿区のゴミ坂の項で紹介したこの浮世絵です。「妻恋ごみ坂」という題名なので何処だかわからなかったのですが、「立爪坂」のことだったのです!

立爪坂の階段と坂

遠景凄いっ!広重はここでスケッチしたのに違いない。

位置的、方向的にみても、遠くに見える塔は上野のお山の方角。
それもピッタリ一致します。

桜散る崖

しかも、崖を見ようと坂上に登ると、桜が散っていました。絵と同じでビックリです。
桜散る一瞬、タイムスリップしたような感覚!こんな事もあるんですねえ。 予期せず不思議な体験でした。

しかしながら、美しくも庶民の恥部を描く江戸っ子っておおらかです。おかげでお江戸の生活がわかるのです。

今でも通りから奥まったところ、目立たないココに江戸時代、ごみ捨場と公衆トイレがあったのです。

今の呼称は?

江戸時代は「立爪坂」明治時代は「芥坂」の表記だったのですが、今はなんと呼んでいるのでしょう?
調べると、地元ソングに「三組弥生音頭(歌:大月みやこ)」とあり、歌詞に、

ハアー、ねがいかけましょ天神さまへ、のぼる五味坂、三組坂
ソレ、のぼる五味坂、三組坂〜

しっかり五味坂(ゴミ坂)と呼んでいるようです。
家康公に頂いた三組丁、三組坂と同様に歴史を大事になさっている地域の方々の心意気を感じます。
なんだか、メロディーが聞こえて来て、ここの盆踊りに行きたくなってしまいました。

三組坂
三組坂

三組そういえば、広重の浮世絵に描かれている武士のお付きの人は御中間など三組の人々の三人。場所も表していたんですね。
今気づきました!奥が深いです!
三組丁については実盛坂の項の最後のほうに解説しています。

お江戸の坂道を研究していて、ゴミ坂の歴史が好きになってしまいした。
ゴミ坂の話をすると、不潔に思うのでしょうか、皆さんあまりイイ顔をしません。江戸時代からごみ坂と呼ばず幽霊坂と読んだりするくらいです。

今ではゴミ坂は無いのですが、ゴミの日には全ての道がゴミ坂になっているだけで、これは生活の一部で、他所の衛生を保つために必要な都市のインフラなのです。
その歴史を残していくことは、とても大切な事だと思います。


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