怖〜いホラーな博物館

江戸には小塚原と鈴ヶ森の二つの刑場があり、ほかに小伝馬町牢獄、日本橋の晒し場やキリシタン屋敷など、江戸の歴史を調べていると怖い過去を持つ地に度々出くわしてしまいます。

小塚原刑場跡の首切り地蔵
小塚原刑場跡の首切り地蔵。
鈴ヶ森刑場跡
鈴ヶ森刑場跡。

しかしながら、小塚原と鈴ヶ森、なぜ、二つの刑場があるのでしょうか?
お奉行様の二つの刑場の選択は……?南町・北町奉行所の所轄?罪の種類によるのか?罰によるのか?はてまた身分によるのか?
こんなことを考えると眠れなくなる性格。疑問と憶測が浮かんできます。

明治大学博物館

ここに行けば疑問が解決するだろうと訪れたのが、神田駿河台、文坂上の明治大学博物館。

明治大学博物館展示

この博物館は土器土偶や陶器の考古学部門・商品部門に加え、刑罰や拷問に用いられた道具の展示を主とする「刑事部門」があり、通称「拷問博物館」。
炎天下の夏でもクーラーとホラーで涼しく、しかも入場無料の上、撮影可。FBページでも「涼みに来てください」とうたっています。

明治大学

階段

思わせぶりな暗い階段を降りてゆくと、刑事部門で目を引くのは……!。

アイアン・メイデン(鉄の処女)とギロチン台

西洋のギロチン台とアイアン・メイデン(鉄の処女)。
ギロチン台は死刑執行人の精神的ダメージと罪人の苦痛軽減を目的とした愛ある?発明と云われています。

アイアン・メイデン(鉄の処女)

鉄の処女の内側には釘が突出しています!щ(゚Д゚щ)
最新の研究では、釘は後世の後付け、恐怖を増幅、犯罪の抑止力にしたようです。
とはいえ釘が無くとも、この中に閉じ込められ鍵をされ放置される禁固刑ですから、これはまぎれもない拷問です。

江戸の拷問

時代劇によく登場する拷問シーン。

石抱責め
石抱責め。
吊し責め
吊し責め。

見ているだけで痛くなり、江戸時代に生まれなくてよかったとホッとしたりします。やっていなくても自供してしまいそうで、冤罪が多かったわけです。

江戸の刑罰

江戸の刑罰で有名なのは、打ち首獄門、火あぶりと磔(はりつけ)です。

獄門台
獄門台。
火あぶり台
火あぶり台。
磔台
磔台。

磔(はりつけ)はクロスしている槍で左右から腋を……!。
これより怖いのが……。

鋸(のこぎり)引きの刑

江戸の最極刑と云われる鋸引きの刑。土中に埋めた木箱に入れられ首だけ出し、切れ味の悪い竹製の鋸を傍に置いて二日間晒しておくもの。

鋸引きの刑

鋸引きの刑イメージ
鋸引きの刑イメージ

戦国時代によく行われ、通行人や遺族に執行させる刑ですが、さすがに殺生を禁じた仏教の影響で江戸時代には形式化、鋸を引く者は無くなります。
しかし、元禄の頃、鋸を引く者が現れ、お奉行はあわてて見張りの番所を設けたとのこと。

二日間晒され、市中引き回し(付加刑ですので行われないときもあります)その後、磔の刑ですので、最も重い刑です。

この刑に処せられるのは、主人殺しや心中の生き残りなど。晒された地は、誰もが知っている場所です。

日本橋南詰の晒し場

日本橋南詰の東側が晒し場跡。
日本橋南詰の東側が晒し場跡。
古地図:安政四年(1857年)築地八町堀日本橋南絵図より
古地図:安政四年(1857年)築地八町堀日本橋南絵図より晒し場の広場。
古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より
古地図:明治9-17年(1876-84年)5千分の1東京図測量原図より。

日本橋の南詰め東側。野村證券ビルの前、日本橋の一等地なのになぜここにだけ広場があるのか?かねてから不思議でしたが、曰くつきの場所には誰も建物を建てようとしません。
小伝馬町牢獄もしかりです。

小伝馬町牢獄跡

小伝馬町の大安楽寺
小伝馬町の大安楽寺。

牢獄は、明治八年(1875年)市ヶ谷監獄が設置されるまでここにありましたが、その跡地は買い手がなく、実業家の倉喜八郎と安田財閥の祖・田善次郎が土地を買い取り寄進、寺を建立します。寺の名は二人の名からとり大安楽寺。

様(ためし)場跡
様(ためし)場跡。
様斬りイメージ
様斬りイメージ。

寺のある場所は死罪場、様場(ためし場、斬首になった死体で刀の試し斬りをするところ)で代々の山田浅右衛門が担当。牢屋敷は十思公園、十思スクエア(旧十思小学校)を含む大きなエリアです。ためし斬り・斬首の際は土を盛った台を作り、これを土壇場と言います。「土壇場」とはいまでもよく使う表現ですが語源はこんなところにあります。

十思公園
十思公園。

さて、人間なら誰でも心の奥底に持つSM嗜好と冷房で涼しくなったところで、本題の二つの刑場の選択は?。明治大学博物館では火・木・金曜日、ボランティアの方によるガイドさんがいるので聞いてみます。

小塚原と鈴ヶ森の選択ですか?南町・北町奉行所は月番交代で江戸市中の全部管轄ですからねえ。どちらでも火あぶりも磔もやっていますし……。すいません、わかりません。この上の図書館で調べたらどうですかぁ?

博物館の上、地下一階は図書館になっています。図書館司書のご婦人に話すと「小塚原と鈴ヶ森の選択基準ですね、あります!」と即答。

確かこの辺りの本に……。難しい法学の本ではなく江戸に関する本、江戸学のほうがいいですね」と数冊の本を示してくれます。
弘文社刊「江戸学事典」の「小塚原・鈴ヶ森」の項目に「刑場の選択は犯行地に近い方とし日本橋を境に以南は鈴ヶ森、以北は小塚原とした」と。なるほど。そして双方とも江戸のはずれの街道(水戸街道、東海道)沿いの南北の入口。往来の多い地なので見せしめの公開処刑には適しています。

さすがは図書館司書さん、よくご存知で。お礼を述べて帰り道、ふと思うことが。

駒込の八百屋お七が鈴ヶ森で火あぶりの刑に処せられたのなら、放火の犯行現場は日本橋以南だったのでしょうか?駒込は日本橋以北なんですがぁ……?
謎が謎を呼び、また寝れなくなっちゃうぅ。

八百屋お七火あぶりの刑処刑台座
鈴ヶ森刑場跡。八百屋お七火あぶりの刑処刑台座。

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