神楽坂毘沙門天の几号水準点

活気にあふれる神楽坂の中心部、善国寺毘沙門天。毘沙門天が寅年、寅の月、寅の日に初めてこの世に姿を現したとされる古事に因んで、狛犬ならぬ、狛トラ?
狛トラではなく石虎です。

神楽坂毘沙門天の几号水準点

毘沙門天の石虎吽形
毘沙門天の石虎(吽形)

社殿に向かって左側の吽行のほうは空襲でだいぶ損傷してしまったようですが、まだまだ現役です。

善国寺は、徳川家康の命をうけて、日惺上人(にっせいしょうにん)が麹町六丁目に文禄4年(1595)創建。火事による類焼を経て、寛政5年(1793)この地へ移転したといいます。
毘沙門天は、加藤清正の守本尊だったとも、土中より出現したともいわれています。

毘沙門天は、色々な呼び名を持つ神様です。
四天王の一尊に数えられる武神であり、多聞天とも呼ばれ、財宝や福徳を与える七福神の一神でもあります。

毘沙門天と多聞天の区分は、日本では一般的に四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」で、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶそうです。

多聞天というと全てを聞いてくれそうなやさしいイメージ、毘沙門天というと武人のイメージがついてきます。ややこしいです。

阿吽一対の石虎像の阿形の台座(本殿に向かって右側)に几号水準点があります。

公的資料:地理局雑報にある
牛込神楽坂善国寺毘沙門堂虎石臺 18.7644m

几号水準点って何?を参照

説明板にも几号水準点のことが書いてあります。これを初めて読んだとき、なるほどと思い、几号水準点探しのきっかけになるのでした。

善国寺石虎の説明板
善国寺石虎の説明板に几号の説明もあります(クリックで拡大)。

北の方角から神楽坂まで見ると、かなり急な相生坂赤城坂を登ってくることになります。ここは高台で明治の頃は高いビルもなく相当、見渡しがきいたのでしょう。

古地図で見ると、

古地図:明治20年(1887年)東京実測図より赤矢印毘沙門天虎石、青矢印牛込御門の几号水準点。
古地図:明治20年(1887年)東京実測図より赤矢印毘沙門天虎石、青矢印牛込御門の几号水準点(クリックで拡大)。

善国寺赤矢印のところに61.9尺(18.7644m)の記載があり、青矢印は牛込御門石垣の几号水準点で、日比谷公園に移転された亀石と云われています。

社殿が再建され、石虎の位置は若干、動いています。

神楽坂は歴史がいっぱいです。以下をご参照ください。

撤去等で年々、数が少なくなっています。撤去されていたら、ご報告ください。

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