「番外編」カテゴリーアーカイブ

文京区さいこう!公認イベント「ゆるラン散歩」

不思議な茗荷谷の謎を解く!

楽しい文京区の仲間が集まり、いつも最高なFBグループ「文京区さいこう!」。有志の方の発案で、妄想家の私くしがボランティア歴史ガイドとしてデビューしてしまいました(((o(*゚▽゚*)o)))。
普段、何気なく歩いている文京区は歴史の宝庫です。
古地図を見ながらのお散歩で、お江戸が見えてくるくるぅ。
集まっていただい方には、そんな時空を飛び越えた体験をしていただきました。不慣れな素人ガイドを補う意味で、レポートしなくてはいけません(≧∀≦)。

箪笥町から藤坂へ

箪笥町

朝10時、茗荷谷駅集合、若干1名(たしか、S氏だったかなぁ )が遅刻なるも皆さん元気に、いざ!ゆるラン散歩出発!
徳雲寺茗荷谷駅周辺のお江戸の地名は「箪笥町」。箪笥とは家具のことではなく、武士が武器をしまうためのもの(町人が家具を買うのは一生に一度か二度)、この説明から、みなさん、興味深々(*’д’*)、掴みはオーケー(*’-‘)b 。徳運寺前では、「夏目漱石の葬儀が行われたお寺です」の一言で、みなさんのカブリつき方が尋常ではない(*’д’*)、

徳雲寺は夏目漱石の菩提寺です。漱石は小説『門』にあるように青年期に禅門に心を寄せ、鎌倉の円覚寺に参禅したことがあり、葬儀は円覚寺山主の釈宗演の引導によってこの寺で執り行われたとのこと。

夏目家自体の菩提寺は水道の本法寺です。
掴みからノリノリですが、時間を食っていては、行程を全うできない!という不安が私くしにはよぎる、、、
しかしながら、みなさん、歴史に興味があるみたいぃ〜(^_^)
うれしい限りです。

新しい昭和の坂道、環状3号線計画があった「播磨坂」を横目に見て、江戸時代からある「藤坂」を下ります。富士山が坂上から見えたので「富士坂」、坂下に川が流れていたので「禿坂(カッパの意味)」の別名を持つ藤坂。今の丸の内線は昔の川の上を走っているのです。

狩場藤坂の由来は、高田での鷹狩後、ここを訪れた家光公が坂下のお寺でひと休み。境内の藤の花がキレイだったので、「藤寺」と命名したことから、となっていますが、どうもおかしい(?_?)、豊島区高田から江戸城に帰るのに文京区を通るでしょうか?しかも家光公が亡くなる前年にここを訪れたことになっているのです。
しかしながら明治の地図をみると、あれっ?狩場(鷹狩の練習場)が近くにあった(今の共同印刷辺りに)!
そんな物語と、門前の怪しい庚申塔(三猿バージョン)の説明をさせてもらいました。

藤寺門前の庚申塔

この庚申塔、今回企画のプロローグだったのです。
のちのち重要なアイテムになるのです。えへへ(*‘ー‘)ゞ。
不慣れなガイドだったゆえ、詳しくはリンクをご参照ください。

参照リンク
藤坂と狩場
庚申坂と庚申塔

伊勢屋の十一面観音祠

伊勢屋の十一面観音祠

藤寺を出で、茗荷谷を下っていくと、、、
みなさん、あっ!と驚きます。祠(ほこら)があるです。
「江戸に多きもの、伊勢屋、稲荷に犬のフン」と云われるように伊勢屋が多すぎて、ルーツは特定できませんが、この祠、妄想するに丸ノ内線工事に伴い、近燐路傍の仏像を合祀したものです。

庚申塔(青面金剛)
庚申塔(青面金剛)

なんちゃって道祖神(実はペラペラ)注目すべきは庚申塔の青面金剛バージョンがあること。
そして、、、なんちゃって双体道祖神!都会の真ん中に道祖神!と、みなさんも騙されていたみたい(≧∀≦)。実はこれだけレプリカなのです。うけるぅ〜。

参照リンク
庚申坂と庚申塔

そうでした、庚申塔は護国寺にたくさんあるのでした(≧∀≦)。
この記事の最後のほうに。
富士見坂と護国寺

庚申坂はキリシタン坂か?

祠から少し下ってすぐに、だれもが驚く坂「庚申坂」が!。
どうです、この立派な存在感。

庚申坂

私くしの大好き坂です。大正時代、劇作家の真山青果先生が、この坂の本を出しているほど疑惑と物語に満ちた坂です。

お江戸の地図、明治の地図でも「キリシタン坂、切支丹坂」となっているのに文京区坂道説明板では庚申坂で、キリシタン坂はガードの向こう側の坂となっています。
ならば、いままで見てきた庚申塔のいずれかが坂下にあったのではないかと妄想できます。フリからの展開!えへへ。
私くし的にはこの坂の本名は「キリシタン坂」ですが、キリシタン坂の名の由来となった隠れキリシタンの更生施設「キリシタン屋敷跡」へと行ってみましょう。

参照リンク
謎多き数々のキリシタン坂

丸の内線のガード下は獄門橋?

獄門橋があったガード下地下水が滲み出ていて、昔は川だったとわかる丸ノ内線のガード下。
ここには橋があったのです。その名も「獄門橋」またの名を「幽霊橋」(*’д’*)。キリシタン屋敷に入った強盗の獄門首を晒したところです。怖っ!

参照リンク
文京区公認キリシタン坂の怪

文京区公認切支丹坂
文京区公認の切支丹坂

文化年間(1804〜1818年)、
一方菴という人が物した「遊歴雑記」より

東武小日向切支丹屋敷といふは荒木坂の上二丁にありて七軒屋敷につづき、蜥(トカゲ)坂の北に隣る。屋敷の地面高低ありて四千余坪ありとなん、即ち屋敷の真中に二十余間四方に石垣を築き、まわりに高さ九尺の板壁を構え、中に家作し門を二重に作る。…(略)…當時御金蔵の錠を擦り切り若干の金子を盗取し盗賊三人、程なく相しれ、切支丹坂下の中路、板橋の際にならべて獄門に懸けらる。是より此橋を獄門橋と号けしが◯よろしからぬゆへ、今は幽霊橋といへり。(◯は読めない)
キリシタン屋敷図
キリシタン屋敷図にある獄門橋の表記。

切支丹支の電柱キリシタン屋敷への石段があったであろう文京区が云う「キリシタン坂」を登る途中、メンバーの方が電柱に「切支丹支」の表記を発見!オラは、よく走っているところなのに、気付かなかった!
みなさん、だんだんと時空散歩に慣れてきましたねぇ(^_^)凄いっす!

キリシタン屋敷跡から蛙坂

切支丹屋敷跡の碑

切支丹屋敷跡の碑キリシタン屋敷跡の碑を見ると、オラ的には怪しい記述「享保9年(1724)焼失し、以降再建されず、寛政4年(1792)に屋敷は廃止されました。」ってぇ、?文化年間(1800年代)の「遊歴雑記」にキリシタン屋敷は書かれているし、天保の地図(1843年の岡田屋刊御江戸大絵図)にもあるしぃ〜。怪しい(; ¬_¬)。

キリシタン屋敷(天保十四年(1843年)岡田屋 御江戸大絵図)
天保十四年(1843年)岡田屋 御江戸大絵図

妄想するに外国に対してあまり言いたくないキリスト教弾圧の歴史は暗い闇に葬りたいという力が働いているような気がします。

【追記】
2016年春、キリシタン屋敷跡でイタリア人宣教師の遺骨が見つかるというニュースが飛び込んできました。

切支丹屋敷とシドッチ神父

キリシタン屋敷を守った七人の役人に与えられた土地、七軒屋敷新道を歩き、蛙坂へ。

蛙坂(復坂、トカゲ坂)
クネッと曲がる急坂の蛙坂(復坂、トカゲ坂)

坂道説明板の「蛙坂(復坂)」をみて、みなさん、もうお気づきのご様子。隠れキリシタンが社会復帰するときにキリシタン屋敷裏門から出て、この坂を下りたと、妄想してくれました。

参照リンク
蛙坂はカエル坂か?

歴史は後世作られるものです。ケロケロの蛙は怪しいです。「遊歴雑記」 にはトカゲ坂と書かれているし、形態もトカゲの尻尾のように曲がりくねっている厳しい急坂なのです。
実際、来てみて体験すると「復帰の復坂トカゲ坂」の方がシックリするネーミングだなあと思うはずです( ̄^ ̄ ;)。

ならば、ケロケロの蛙坂はどこか?

「復帰の復坂、トカゲ坂」の西隣の坂には面白い遺構が残っているのです。池のガードレールだったと思われるもの。

池だった住宅地

無名の坂ガードレール下の池は埋め立てられ、住宅地になっています。
メンバーに不動産屋さんの方が多かったので、液状化の恐れとか説明していただきました。
ここは大丈夫な土地のようです。ご心配なく(^_^)。
大きな池が坂脇に存在したこちらの坂、ほんとはこっちがケロケロの蛙坂だろうと妄想できたと思います。

茗荷谷説明板

坂下には水源地を示すかのように茗荷谷の説明板があり、ミョウガが生えています。実はオラもこれがミョウガだったとは知りませんでしたぁ(*‘ー‘)ゞ。メンバーの方に教えていただきました。仲間が集まると文殊の知恵ですね!さいこう!です。

しばられ地蔵

キリシタン屋敷跡に近い深光寺のキリシタン灯籠と林泉寺のしばられ地蔵をみて、さあ、お待ちかねのランチだぁ〜!

パン屋あれっ?みなさん、林泉寺門前町のパン屋さんにカブリ付いたぁ〜。歴史はお腹いっぱいのようですが、さすがグルメ情報満載の「文京区さいこう!」メンバー、別腹です(≧∀≦)。
ランチ前ですぞっ!

木蘭

ランチは茗荷谷駅近くの中華料理「木蘭」さんです。おいしーぃの一言!ガイドで喉が疲れたぁ、ビールがうまぃっ!
ましてや、さいこう!のメンバーの方々とのランチ、つまらない筈がありません。

みなさん

みなさん文京区のお住まいの話をしてくれて、メンバーのお一人が大原麗子の家の話をしてくれたのですが、オラぁ「大信田礼子」だと思って聞いていたら、どうも違うらしー(?_?)

oosida遅刻したS氏が「大信田礼子」はミニスカで蹴りをかますキイハンターだとググった写真をみせてくれて、、、
話がわかるS氏がいて良かったあぁ。
歳がバレるけどぉ〜(≧∀≦)。
本日一番の盛り上がりでした!
歴史よりオモロです。

私くしなぞは歴史の妄想を述べているだけでいいのですが、「ゆるラン散歩」(決して走りませんよ(^_^))をオーガナイズしてくれた渡辺さん、いつもグループ管理をなさってくださる本郷さんには、いつも感謝です!
そして、何よりも集まっていだいたメンバーの方々、こんな素敵な文京区の繋がりって、ないっすよね。
改めてお礼を申し上げますm(_ _)m。

次の企画のアイデアも浮かびましたよぉ〜。こんなに楽しんでいただけるなんて思っていませんでした。新しいみなさんともお会いできるのを楽しみにしています\(^o^)/。

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歴史ing倶楽部第二回OFF会 深大寺城、城攻め作戦!

七人の侍&一匹

陶山部長太夫政央殿が深大寺城城攻めを計画。
野武士を集めているというのでわれら歴史ing倶楽部の面々、七人の侍と一匹が集まった!
歴史ing倶楽部のOFF会にして初めての晴天!
雨女は北政所様であったと一同納得(^_^)
集合場所は鬼太郎茶屋です。
なんじゃあ?木の上に鬼太郎の家発見!早くも貴重なものをみてしまった。

鬼太郎茶屋

城を攻める前に
まずは戦勝祈願

深大寺は東京都調布市にある天台宗のお寺(七人の侍たちは真言宗と思い込んでいた)。
天平5年(733年)満功上人が法相宗の寺院として開創。
東京都では浅草の浅草寺に次ぐ古刹とのこと。
なるほどぉ〜初めて来ましたが大きく立派な伽藍のお寺です。
東京とは思えない豊かな自然に囲まれています。
「深大寺そば」しか知らなかった自分を恥じます。
門前も情緒タップリで都心のお寺に比べると、うらやましい限りです。

門前の賑わい
門前の賑わい
深大寺山門
深大寺山門
本堂
本堂
そばバーガー?
そばバーガー?

白鳳の美

銅造釈迦如来倚像

銅造釈迦如来倚像(重要文化財)
明治42年(1909年)、お堂の檀下から発見されたといいます。
関東では数少ない古代の仏像。ピッカピカで端正な白鳳期の特徴がよく表われています。
こんなところに奈良の仏様にも負けない美があったとは驚きです。白鳳の美に魅了されてしまいました。

お饅頭
饅頭好きな人がいる。

戦勝祈願を済ませ、いざ城攻めに出陣!七人の侍たちはお寺の裏の方だと思い込んでいましたが、植物園の方みたいです (≧∇≦)。

いざ!城攻め!

植物園の一角に深大寺城跡が残っています。
深大寺城は太田道灌のボスである扇谷上杉氏が、かつてからあった古城を改修した中世のお城です。
北条氏綱に攻略された江戸城を奪還すべく、上杉朝興・朝定親子がこの深大寺城を拠点としたようです。

説明板。野武士が写り込んでいます。
説明板。野武士が写り込んでいます。
二郭に残る柱跡
二郭に残る柱跡
空堀
クッキリと残る空堀

お屋形様

ここで我らが御屋形様の、いくさの闘い方講義が始まります。
野武士一同、真剣に聞き入ります。
足軽は手傷を負ったら戦闘終了、急所はここ、5メートルの長槍戦法など興味深いお話の数々。
御屋形様、今度はぜひ飲む席でもお願い致し候m(_ _)m
期待しています!

城山
城山

御屋形様のお力で城を落とし、一同意気揚々、城を降ります。

水生植物公園
水生植物公園

城を守った湿地がいまでは水生植物公園になっています。
シーズンが悪く(*’д’*)ほぼ無草であります。

チャオくん
忍者犬チャオくん

その後、忍者犬チャオの顔ペロペロ攻撃にさらされましたが、なんとか生還。
侍たちは城攻めの恩賞におのおの知行地を与えられ国に帰っていった。

残された貧乏侍は三人。
歴史ing倶楽部のメイン、飲み会じゃあぁ!勝鬨を上げよ〜!

酒宴

陶山部長太夫政央殿、山本兵部輔ブライアンゆかりん殿と酒宴を囲みました。
呑んでいたら歴史好きの若侍と意気投合。歴史ing倶楽部には珍しいジャニーズ系の若者をゲット!
とても礼儀正しい方で、本日最大の収穫!でありました。

若侍

※謝辞:投稿には一部メンバーの方々が撮影した写真を掲載させていただきました。
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